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子どもは本当に「親の背中を見て育つ」の?気をつけるべきこととは?
今回は、昔から「子どもは親の背中を見て育つ(だから親は子どもの見本になるようにした方が良い)」と言われていることについて、保育士の視点から感じることを紹介します。
世間では「子どもは親の背中を見て育つ」と言われていることは皆さんもご存知だと思います。
「子どもは親のやることを身近で見ながら育っていく」という意味で、
良い意味にも悪い意味にも捉えることができますね。
なぜ「背中」なのか考えたことありますか?
そもそも、なぜ「背中」なのでしょうか。
「親の"顔"を見て育つ」
「親の"口"を見て育つ」
「親の"腹"を見て育つ」
ではなく、
「子どもは親の"背中"を見て育つ」
なぜ正面の姿ではなくて、後ろ姿なのかというのは、これはおそらく、
子どもは親の「言うこと」は全然聞かないけど、親の「やること」はしっかり真似するようになるんだよ
というメッセージなのだと思います。
口で言うこと(意識的なこと)よりも、行動(無意識的なこと)の方が大切だよと。だから顔でも口でもなく、背中。
親のやることなすことを子どもはいつでも見ていますよという意味なんでしょう。
そう考えると、「子どもは親の背中を見て育つ」という言葉が、かなり意味の深い言葉に思えてきますね。
子どもが親の背中を見ている実例
ぼくがまだ保育士になるための大学に通っていた頃、実習先の保育園でこんな光景を目にしたことがあります。
ケース1
確か5歳児のクラスでした。女の子と男の子がままごとをしていました。
その時の設定は、
女の子がお母さん役、男の子がお父さん役、子ども役として赤ちゃんの人形が床に寝ていました。時間帯はおそらく夕方、お父さん役の男の子が仕事から帰ってくる場面でした。
その時のやりとりが以下↓です。
男児:「ただいまー」
女児:「あらおかえりー」
男児「お腹空いたよー、今日のご飯はなにー??」
女児「ごめんなさーい、まだできてないのー。今からセブンイレブンで何か買ってくるからその間に赤ちゃんのオムツ替えてといてー。ガチャ。(効果音)」
ってものすごく思いました。
また違う保育園では、
ケース2
さきほどと似たようなおままごとの設定で、男児と女児が食後のテレビのチャンネルを取り合っていてる場面でした。
男児:「俺は野球が観たいんだってば」
女児:「もうすぐドラマが始まるからイヤよ」
男児:「いつも観てるじゃんか」
女児:「だって観たいんだもん。」
男児:「ちぇっ。じゃあ車のナビで観てくるよ」
と言いながら男の子はしぶしぶ玄関を出て、車の座席に見立てたイスにちょこんと座りました。
といった感じで、子どもと関わる仕事をしていると、「子どもは親の背中をしっかり見てるんだなー」と感じることが多々あります。
もちろん、今回の例はセブンイレブンに夜ご飯を買いに行くことがダメというようなことを言いたい訳ではありません。良い・悪いの話ではなく、「子どもは親が教えてないこともしっかり観察して身に付けている」という話です。
気をつけるべきことは「背中を見せる距離感」
さて、ここからが今回の記事で一番大事な部分です。
ぼくが今回この記事を書こうと思ったのは、「子どもは親の背中を見て育つ」と言われていることについて、気になっていることがあったからです。
それは、子どもが親の背中を見る時の「距離」です。
これはイメージの話になってしまうのですが、結論を言うと、親の背中を見る距離が近すぎてもいけないし、遠すぎてもいけないなと思います。
親の背中が近すぎると、、、
「過保護」や「甘やかし」という言葉を使ってしまうとその線引きが難しいのですが、
(主に3歳以上の)子どもがあまりにも親に近すぎるとその子はほとんど親の背中しか見ることができなくなってしまいます。
すると子どもは、親の背中の向こう側や横に広がっている「社会」や「世界」という名の大きな存在を見ることが少なくなってしまいます。
- 常識も親の範囲内
- 行動範囲も親と同じ
- 好き嫌いも親と同じ、、、
つまり、視野が狭くなってしまうのでは。と思うのです。
どの子も、ゆくゆくは小学校や中学校、大人という社会的な空間を生きていくようになるわけで、その時にはイヤでも親の背中を離れて自立していく必要があります。
小さい頃から親の背中ばかり見ていたら、それ以外の世界が全然わからなくて子どもが困ってしまうかもしれません。
親の背中が遠すぎると、、、
もう一つは、親の背中が遠すぎることです。
子どもにとって血の繋がった「親」という存在は、母親と父親の2人しかいません。
子どもたちは「親の存在」という安心できる場所があるからこそ、勇気を出して複雑な対人関係や社会へと踏み出していくことができます。
しかし、親の背中が離れすぎていると、小さな子どもは誰の背中を見たらいいのか分からなくなります。つまり、「絶対的に安心できる存在」を知らないまま大人になってしまう可能性があるのです。
たとえば、横一列に大人が50人並んでいるとして、それを10メートル後ろから見ると同じ大きさの背中が並んでいることになります。
子どもたちはどの人に信頼を寄せたらいいのか、どの人を一番頼りにしたらいいのかがわからなくなってしまいます。
しかし、その景色の中で並んでいる大人のうち2人が5メートルくらい後ろに下がったらどうでしょうか。
子どもはその2人の大人だけの背中が大きく見えるようになります。
子どもはその大きく見えるようになった2人(親)の背中に一番の影響を受けながら、横一列に並んでいる他の大人の(親よりは小さく見える)背中からも影響を受けながら成長していけるのではないでしょうか。
1番良い距離感は「親の影を踏まないくらい距離」
ぼく自身が、子どもに親の背中を見せるのに1番良い距離感だなと思うのは、子どもが親の影を踏まないくらいの距離です。
これもイメージの話になってしまいますが例えば、子どもが親の影を踏んでいると、たぶん近すぎて背中ばかりが大きく見えてしまいます。
親の影をギリギリ踏まないくらいの距離感でいれば、子どもにとっては、親の背中は一番大きく見えるけれど、その横からは他の大人の背中もちゃんと見える。
そんな程よい距離になるだろうと思います。
もちろん親によって影の長さは違いますし、そもそも親の子育て観によっても考え方はいろいろあると思います。
というわけで今回の話は、「なるほどそういう考え方もあるんだなぁ」くらいに思っていただければ良いのかなと思います。
さいごに
教育者・保育者と呼ばれるような子どもと関わることを仕事にしている1人の人間として、いつも意識していることがあります。
子どもはゆくゆく親や先生を越えていく存在です。
だから例えば子どもが壁にぶつかった時、
壁の上から手を差し伸べて引っ張り上げてあげる役ではなくて、
自分が壁の下で四つん這いになって子どもがそれを踏み台にして自分の力でその壁を越えられるように支えてあげるイメージを大切にしています。
上から引っ張りあげてしまうと、子どもは自力でそこに辿り着いたことにはなりませんし、そもそもそこに大人がいるということは、大人がいる位置より上には行っていないということです。
子どもが先生や親を越えていく存在であるならば、ぼくたちが持っている知識や経験を土台にしてぼくら以上にさらに大きくなって欲しいものです。
ぼくが見上げることしかできないような場所を、子どもたちが平気で歩くようになればいいなと常々思っています。