生き方(人生)

【リアル人生ゲーム】毎日をすご〜く楽しく過ごす人生のとらえ方

かんかん

この記事の話は、あなたにとって「新しい人生の捉え方」になる可能性が高いです。日常生活でトラブルがたくさんあって悩みや不満を抱えてる方には、これ以上ないくらい良い話だと思います。

実際にぼく自身は、今回の話をここ数年で意識するようになってから、生き方がめちゃくちゃラクになったし、いろんなことに挑戦できるようになりました。

そして、「学校で教えてもらったことはないけれどもし学生時代にこの話を聞いていたら将来の選択は今とは違っていたのかも」と思った話でもあります。もし中高生になれば理解できる話なのでチャンスがあればどんどん伝えていきたいです。

 


 

あなたはゲームをやったことがありますか??テレビゲームやスマホのゲーム、なんでもいいのですが。今回の話は「ゲーム」が重要なキーワードになります。

さて、ではさっそく新しい人生のとらえ方をみてみましょう!!

 

過去の嫌な思い出は??

まず最初に思い出してもらいたいことがあります。。

 

過去でも現在でもいいですが、あなたが経験した(もしくは現在経験している)嫌な思い出、トラブル、不満、辛かったこと、傷ついたことなどを3つくらい思い出してみてください。

一般的にいう「起きて欲しくなかったこと」とか「悩みの原因」とかマイナスの影響があるようなことです。たとえば、「失恋」とか「受験の失敗」や「仕事の失敗」「人間関係のトラブル」や「家庭の悩み」とか。

これが後で大事になるんです。誰かに言う必要はありません。頭の中で、「アレとアレとコレは辛かったなぁ二度と経験したくないなぁ」なんてことをいくつか思い浮かべてみてください。

ちなみに、ぼくの場合は、中学生時代に部活でやっていた剣道ですね。剣道は武道に通じるだけあって、精神的にものすごいキツいんですよね。剣道部の思い出を一言で言うとIKKです。

イタイ、クサイ、カユイ。

特にかゆみが1番辛かったです。激しい稽古をしていると鼻先をツツーっと汗が移動していくんです。そうするとくすぐったいというかかゆいというか、なんとも不快な気持ちになります。

でも、剣道では顔に「面」という防具を付けています。練習中だから汗でかゆくても面を外すわけにはいきません。そこで1番腹立たしいのが、面の上から指を入れて鼻先をかこうとしても面の隙間が細くて指の第2関節くらいまでしか入らないということ。小指を使っても鼻まであと1センチが届かない。

顔を振ろうが突き出してみようが届かないものは届かない。あのかゆさに耐えながら続けた剣道の稽古っていうのは中2のぼくにはほとんど拷問でした(笑)今思えばぼくに忍耐力がなかっただけなんですが、当時のぼくには結構な苦痛でした。これがぼくの辛かった思い出の1つです。笑

 

皆さんはどんなことを思い浮かべたでしょうか。

 

キャラクターとプレーヤー

StockSnap / Pixabay


さて、では次に話題を変えて、テレビゲームの話をします。

 

例えばスーパーマリオブラザーズ。

ゲームが始まると、敵であるクリボーを倒したり、割れ目の道を飛び越えてみたり、土管の中に入ってみたりして、コインもたくさん集めてゴールに向かいます。いろいろな敵を倒し、謎を解き、クッパやテレサみたいなボスを倒し、ピーチ姫を救っちゃったりして、ワクワクドキドキ本当に楽しいゲームですよね。

 

そんなスーパーマリオブラザーズですが、ぼくたちがなんであんなにもテレビゲームを楽しめるかというと、ゲームをしているぼくたちはプレーヤーという立場で、マリオというキャラクターを操っているからです。

 

ゲームにはキャラクターとしての目線(マリオ目線)と
プレーヤーとしての目線(ゲームをする人目線)とがあるんです。
将棋で言えば駒がキャラクターで、棋士がプレーヤーです。

 

何が言いたいのか、ですよね。
では、もしぼくたちがキャラクターの立場だったら、と考えてみてください。


テレビ画面の中にワープしてみましょう。

 


あなたは画面の中でマリオになりました。

ゲームが始まると、いきなり目の前からめちゃくちゃ大きいのキノコが怒った顔して向かってきます。めちゃくちゃ怖くないですか??

ちょっと進むと今度は地面が割れてて底が見えないくらいの穴が空いています。右手上げて軽やかにジャンプできますか?

さらに進むと明らかに不自然な位置に設置されている緑色の土管。何のためらいもなく入っていけますか?


 

キャラクター目線とはこういうことです。

 

でもぼくたちが普段ゲームをするときは、プレーヤー目線でいるからそんな恐怖に襲われることはありません。他の格闘ゲームや育成ゲームやロールプレイングゲームでも同じです。もし自分がキャラクターになったとしたら、いつもゲームをしている時みたいな勇敢な行動は怖くて出きないと思います。

 

マリオカートだってそうですよね。自分が実際に乗ってるカートが赤甲羅に追いかけられたら、顔面蒼白、怖いだけで全く楽しくないと思います。笑

Niap3d / Pixabay

恋愛ゲームもそうですかね??(ぼくは恋愛ゲームやったことないんですが)プレーヤー目線でいれば、キャラクターがヒドい振られ方をしても、「あーあ、振られちゃった。よし、次、次っ♪♪」ってあなたは尋常じゃない切り替えの早さを見せるんじゃないでしょうか。

 

このキャラクター目線とプレーヤー目線。

 

ゲームにおいてはプレーヤー目線でいた方が絶対に楽しめることがわかると思います。

 

 


 

では、話を戻してぼくたちが生きている現実の人生を考えてみます。
ぼくたちはこの現実の世界で、キャラクターとプレーヤーのどちらの目線で普段生活しているでしょうか??

 

 

きっとほぼすべての人が「キャラクター」だと答えると思います。
だって、普段の生活で何があってもそれを実際に体験してるのって自分自身だし、痛いとか怖いとかもちゃんと感じますもんね

 

プレーヤー目線でも良いんじゃない??

klimkin / Pixabay

はい、ここで今回のテーマ「新しい人生の捉え方」です。

 

それがこれ、

「べつにぼくらだって、プレーヤー目線でいてもいいんじゃない??」

 

このぼくたちは現実世界を生きていますが、誰がキャラクター目線でいなきゃいけないって決めたんですか??任天堂の人ですか??カプコンですか??

べつにプレーヤー目線でもいいじゃないですか。人生をゲームだと捉えて、プレーヤーでいた方が絶対楽しいですよ。

 

自分がプレーヤーでいるというのは、イメージでいうと「自分というキャラクターを、その真後ろちょい上空からあなたというプレーヤーが操ってる感じ」です。

 

そうすると例えば仕事でトラブルにぶつかってもプレーヤーのぼくは、ポケポンの戦闘シーンのように

得意先でとんでもないミスをした

ーーーーーーーーー

▶︎上司に相談する
▶︎平謝り
▶︎とりあえず逆ギレしてみる
▶︎逃げる

ーーーーーーーーー

みたいな選択肢から「どれにしようかな〜」って選ぶことができます。だってゲームですから。

 

 

恋愛でも、

大好きな彼女から「あなたの他に好きな人ができたの。別れましょ。」と電話で突然言われた。

ーーーーーーーーー

▶︎諦めきれないので連絡を取り続ける
▶︎友達に慰めてもらう
▶︎バックパック背負って東南アジアへ向かう
▶︎とりあえず失恋ソングを聴きまくる

ーーーーーーーーー

みたいな選択肢の中から、「今の状況ならこれかな」って選べるわけです。ゲームですから。笑

 

 

この世ってどの世?

stokpic / Pixabay

ぼくも最初そうだったんですが、この「キャラクター目線•プレーヤー目線」の話を考えていると、「ぼくたちが生きているこの世って現実なんだからプレーヤーになりようがないんじゃないの??」って思えますよね。

 

ぼく実際に、「あの世から自分の守護霊みたいな存在がコントロールしてるみたいな感覚なのかなぁ」とかまで考え始めましたから(笑)あの世ってあるんでしょうかね??
そう思って調べていたら、「この世は現実じゃないのかも??」と思える不思議な事実を知ることになりました。

 

そもそもですが、日本語では「これ」と「あれ」が対応する言葉になっているように、「この世」っていう言い方は「あの世」っていう場所が存在してると考えているから言う訳ですよね。

 

ということは、ぼくたちは今の現実を「この世」と呼んでいる以上、「あの世」の存在を認めていることになるんですね。それと同じで、「現実の世界」と言うってことは、「非現実の世界」があると認めていることになるんじゃないでしょうか。

 

なんでこんな話をいきなり始めたかといいますと、人生というゲームをプレーヤー目線で楽しむために必要だからなんです。もう少し読んでみてください。

 

おかしな日本語

Pexels / Pixabay

日本語にはおかしな使われ方をしている言葉があります。

 

それは「誕生日(たんじょうび)」という言葉です。
誰もが知ってるこの言葉。この言葉って不思議だと思いませんか?

 

だって、生まれた日って言いたいなら「生日(じょうび)」だけでいいじゃないですか。「私の生日はね、◯年の◯月◯日なの」って。

 

でもなぜか「誕(たん)」が付いています。「生誕」とか「降誕」とか使われたりするからこの「誕」という漢字、「生まれる」とかに近い意味があるかと思っていたら、実は違うんですね。

 

漢和辞典なんかで調べるとちゃんと書いてあるのですが、
「誕」という字は、「偽り」「嘘•でたらめ」という意味があります。

 

ということは「誕生日」というのは、「偽りの生まれた日」となります。偽りってどうゆこと??

 

 


 

他にも、
親族が亡くなった時に「大往生(だいおうじょう)でした」って言ったりしますよね。
「往」って「往復」の「往」だから、「行く」という意味です。

 

亡くなった人が「往(い)って生まれる」ってどういうことなんでしょう。
どこに生まれるんでしょう??まだ生まれてなかったってことでしょうか??

 


 

さらにさらに、
亡くなった人に対して、「生前は◯◯な人でした。」って言うこともありますね。

 

「生前」ってよくよく考えてみたら「生まれる前」ってことですよね。
亡くなった人に対して「生まれる前は◯◯な人でした」って日本語変じゃないですか??死んだのに生まれた??

 

現実のような非現実で生きているのかも

designwebjae / Pixabay

とこーゆうことを考えていくと、
もしかしたら今ぼく達が生きているこの世界は、映画「マトリックス」の世界みたいに、現実のようで実は現実ではないのかもしれません。

 

「生まれた」(誕生日)と思っているけど実はゲームがスタートした日なだけで、
「死んだ」(往生)と思っているけど、実はゲームをクリアしただけ。

 

そう考えることもできますよね。
少なくともぼくたちが普段使っている日本語はその考え方がベースになっているようです。

 

これはホントかどうかわかりませんが、仮にホントなのだとしたら、
ぼくたちの普段の生活はゲームの中だということになります。

 

それなら、「キャラクラー目線ではなくプレーヤー目線で人生をゲームのようにもっと楽しく歩んでもいいんじゃない??」って思えてきませんか??

 

 

ぼくたちの毎日は、偽りの生まれた日(誕生日)から本当に生まれる日(往生)までを楽しむ「生前ライフ」という超リアルな人生ゲームをしているだけなのかもしれません。だから、ぼくたちは死んだ時に「ハッ、今までのはゲームだったのか」って気がつくのかも、、、。まだ死んでないからわかりませんが(笑)

 

 

もしこの世界がゲームだとしたら

最後に2つだけ付け足して終わろうと思います。
1つはもし本当にこの世界がゲームだとしたらです。

 

あなたはプレーヤー。兼キャラクターでもあるわけですが。

もしこの世界がゲームなのだとしたら、何かテーマがあるはずです。テレビゲームにいろんなジャンルがあるように。格闘なのかスポーツなのか冒険なのか戦闘なのか恋愛なのか。それを決めなきゃいけないはずです。

 

ただ、どんなジャンルのゲームだとしても1つだけ絶対的に変わらないことがあって、それは「必ず良い方向へ向かうために展開して行く」ということです。テレビゲームでも、ひたすら悪い方向へ向かうゲームなんてないと思います。あったとしても絶対面白くないはず。

 

この世界は大昔から「良い方向」を目指してきました。良い方向を目指そうとしなかったら、ぼくたちは700万年前から今日までずっと、手に槍を持ってマンモスを追いかけてたはずです。

良い方向を目指そうとしなかったら、今だにほとんどの社会人が朝から馬に乗って会社まで通勤していたはずです。ヒヒーンて町中が糞だらけです。

 

でも現実はそうなっていません。それは「良い方向へ向かおう」っていう大きな流れが働いているからだと思います。だから、この世界がゲームだとして何をテーマにしようかって悩んだ時は、「世の中が良い方向へ向かう」ような選択を繰り返していけばいいんじゃないかと思います。

 

もしあなたがゲームを作る人だったら??

そして、2つ目ですが、
もし、あなたがゲームを作る人だとしたら、どんなゲームを作るでしょうか?

 

ゲームは楽しむものです。楽しもうと思ったら、ハラハラ•ドキドキするような出来事が必要になります。テレビゲームでいえば、解かなければ先に進めない謎だったり、今の自分より強い敵だったり、大ピンチだったり。

 

こんなスーパマリオブラザーズを想像してみてください。

♪♪テテテテッテテッテってゲームが始まった瞬間、
敵は誰かが一掃済み、コインはヨッシーがすでに回収済み、道の割れ目もルイージがすでに補修済み、ピーチ姫は自力でクッパのお城から脱出済み

ステージ1-1を進むマリオのそれはもうただの散歩ですよね。安全ではあるけれどゲームとしての面白みは一切ないです。

 

ポケモンだって、ゲームスタート時点にすでにポケモンマスターだったら絶対面白くないし、
ゲームじゃないですけどワンピースのルフィだって、フーシャ村を出発して1つ目の島で"ひとつなぎの大秘宝"見つけちゃったらそこでお話し終了です。

 

何が言いたいのかというと。
この記事の最初で、頭に浮かべてもらったあなたが経験した(もしくは現在経験している)トラブル、不満、辛かったこと、傷ついたこと、失恋や受験の失敗や仕事の失敗、人間関係のトラブルとか家族の悩みなどがありますよね。

自分たちがキャラクターではなくプレーヤーなのだとしたら、そういったトラブルだったり落ち込むことだったり、乗り越えるのが大変な壁というのは、人生を面白くするためのアトラクションだって考えることもできるんじゃないでしょうか

ということなんです。

 

 

さいごに

人生をキャラクター目線で進むのか、プレーヤー目線で進むのか、どちらが良いかは人それぞれですが、その捉え方の違いは大きいと思います

 

いつも楽観的なぼくは、いかに毎日を楽しく過ごすかということばかり考えているので、今回のお話しも、そんなワクワクする考え方の1つです。

 

最後まで読んでくださってありがとうございました。

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