この記事は、
保育士のぼく(@kazukirin1989)が26歳の時に、合計60日間(2016年2月〜4月)でアジアの国を中心に10ヶ国1人で旅した記録です。
せっかくなので旅行記っぽく書いていきます。
スクーターを借りる
台湾4日目、この日は約2ヶ月続いたぼくのアジア一人旅最後の日。
この日はバイク(スクーター)をレンタルした。
というのも、行きたい場所が街から少し離れていて交通手段が不便だったから。
そしてこの日、ぼくは1人ではなかった。
話は2日前。ぼくが台中にいた時に1通のメールが届いた。
「Facebookの写真見たよ!!今、台湾いるの?私も今、台湾ラウンドしてるんだよね!?」
と。
連絡をくれた方は、ぼくがオーストラリアでワーホリをしていた時に訪れたカナナラという街の宿で知り合った女性。
海外初心者でガチガチに緊張していたぼくに生活のことや街や仕事の様子をたくさん教えてくれた優しい恩人、Yさん。
もしもあの時、あの街のあの宿にYさんがいなかったら、不安過ぎてカナナラで仕事を探し始める時期ももっと遅くなっていただろうし、時給2,400円という高時給カフェの仕事もできなかったと思う。
そんなカナナラの大恩人Yさんがいま台湾にいて、なんと会えそうだ!!、ということだったので台湾4日目はYさんと1日台南観光することになったわけだ。
「どこに行きましょうか」と話を進めていくと、Yさんとぼく、それぞれに台南で行ってみたい場所があった。
しかし少し距離があって公共交通機関で行くのは大変そう、、、
というわけでバイクをレンタルをしたのである。
ワーホリ用に国際免許を持っていたのでそれが役に立った。
借りたのは125ccのスクーター。
12時間レンタルで450NTドル(約1,500円)だった。
ヘルメットもカッパも借りて準備万端。
Yさんは自分で運転するのは怖いということで、ぼくが運転。
そんなぼくもアジアでバイクをレンタルするのは初めて!!笑
異国の地を自分で運転することにワクワクしながら出発する!!
運転コワッ!!笑
出発して最初の1時間は分からないことの連続だった。
台湾の交通ルール、勉強したことないし(笑)
台湾て走行車線右側なんだ。
日本もオーストラリアも左車線だから、右車線に違和感ありまくり(笑)
右折の時に何回反対車線に突っ込もうとしたことか(笑)
しかも、台湾は他の東南アジアと同じようにバイク大国。
道にも、バイク優先道路がいたるところにある。
大きな道路を走っていてふと「あれ、この道、他のバイクいないなぁ」なんて思う時は危険です。
パッと右側を見たら、ガードレールの向こうに二輪車専用の道があってそっちはガンガンバイクが走ってて。
「わぁーッ、ココ四輪専用の道だったー!!!!」なんてことも何度か。笑
左折時も基本は二段階左折。
久しぶりの二段階。大学生の時以来。しかも日本は「二段階右折」だから、「二段階左折」したのは初めて。また一つ経験が増えた(笑)
そんなこんなを繰り返しながら最初の目的に到着!!!
日本人が貢献した台湾のダム
最初に訪れたのはココ、「烏山頭水庫」
「うさんとうダム」と読む。
なぜ、ダムに来たのか。
みなさんは、八田與一(はった よいち)という日本人をご存知でしょうか??
彼は水利技師。まだ日本が台湾を統治していた時代に、水害に苦しむ嘉南地方にダムを造ってその周辺に水路を建設する灌漑(かんがい)計画を進めて嘉南地方を一大農業エリアへと変えた計画の責任者だ。
簡単に言うと、台湾で洪水がひどい地域があったから日本から技術者を派遣して現地の人の生活をより良くしよう!!という計画のために派遣されたのが八田與一さんというわけです。
「嘉南大圳(かなんたいしゅう)」と呼ばれるその計画を任命された当時、八田さんはまだ30歳前半で、その計画に集中する為に勤めていた台湾総督府(国家公務員)の職を辞めたそう。
費用も期間も工法も当時としてはとてつもなく規模の大きい計画で、周りからは「絶対無理だろう」とささやかれることも多くあったみたいですが、それでもついには完成させ、完成から86年経った現在も張り巡らされた水路によって嘉南地方に水を届けて農業に貢献するという成果をあげています。
この話を、ぼくはオーストラリアにいた時に台湾人から聞いて知りました。
そしてちょっと恥ずかしかった。
自分の国の人のことなのに全然知らなかったから。
同時に「そんな偉業を成し遂げて台湾の人たちに貢献した日本人がいたんだ」って嬉しくもなりましたけど。
台湾人の友だちがぼくにそれを教えてくれた時、一緒に観せてくれたのがこの「KANO」という映画。
ストーリーは台湾の高校野球部が日本の甲子園に出場した時の実話だが、映画の舞台が八田さんがダム建設を指揮していた時期の嘉南なのだ。
映画には大沢たかおさん演じる八田與一も出てくる。ダムが完成して野球部の学生たちが大喜びする姿も印象的だった。
台湾映画ですが時代背景もあってセリフは日本語も多く、2015年に日本でも一部映画館で公開されたそう。レンタルショップにもあると思うので、ぜひ一度観て欲しい!
はい、というわけで、今ぼくがいるのがその八田さんが計画•指揮して完成した烏山頭ダム。
ダムの周りには八田與一記念公園や親水公園、八田さんの銅像があった。
ダム建設中によくこんな格好↓をして座り、建設について真剣に考えていたらしい。
この送水口↓は建設当時のもので、太平洋戦争で亡くなった八田さんのあとを追って、八田さんの妻トヨキさんが身投げをした場所でもあります。
日本が太平洋戦争に負けて「無条件降伏」をした際に、当時台湾にいた日本人は台湾から去らなければならなくなった。
その時に、トヨキさんは複雑な思いだったんでしょう。
「夫亡き今、夫が長年かけて完成させた烏山頭ダムから離れたくない」そんな強い思いからトヨキさんは台湾の地に残ることを選んだのかな。
「愛」ですね。
他にも公園内には、ダム建設中に事故や病気で亡くなった方のために建てられた慰霊碑やダムに必要な土砂を運ぶのに使われていた機関車なども展示してあった。
実際にこの地に行ってみてダムを目の当たりにすると、規模の大きさに圧倒させられます。
建設にあたって相当な苦労があったんだと想像することができた。
今回の旅行でこの地を訪れることができて本当に良かった。
また一つ、良い刺激を受けた。
あ、もう一つ。
この八田さんの灌漑事業の話、百田尚樹さんの小説「影法師」にあるストーリーにちょっと似てるから、もしかしたら百田さんも八田さんの影響を受けてたりするのかな、なんて思ったり、、、(完全な憶測ですけど笑)
百田さんと八田さん、、、苗字の田んぼの数は百田さんが勝ちですね。
あ、でも実際の嘉南エリアにある田んぼの数は千を超えるだろうから、、、
千田さんは近くにいませんか??
すみませんフザけました。
どっちが勝ちとかないですよね。みんな1等賞。大切なのはオンリーワン。笑
というわけで烏山頭ダムのあと、話は「塩田」へと続きます。
続きはこちら
-
保育士のアジア旅2016Day59-2@台湾【八田さんと塩田、スクーターを借りて[その2]】
続きを見る