「子どもには英語が喋れるようになって欲しい」
「今の時代、英語くらいできないと」
そう願うママは多いと思います。
ぼく自身も「英語は喋れた方が良い」という意見には賛成です。
しかし、「あること」をちゃんと理解してから勉強しないと英語はあまり身につきません。むしろ「難しいもの」として苦手なイメージが残ってしまいます。
事実、ぼくは中学校や高校で習う英語が好きではなく、22歳まで英語に全然興味がありませんでした。
今回はそんな「あること」の話です。
ぼくはオーストラリアの保育園で働くために24歳から英語を勉強し始め、実際にオーストラリアの保育園で働くことになるわけですが、今回は「大人になってから英語を本気で勉強してみて思ったあること」を書こうと思います。
英語は道具
はじめに結論を言いますと、英語を学ぶために理解しておきたい「あること」というのは「英語は道具」だということです。
道具というのは人間の役に立つために存在している物のことです。
スマホ、ペン、包丁、洗濯機や掃除機など、目に見えるものは道具として認識していると思いますが、じつは英語やフランス語、もちろん日本語も、立派な道具なんです。
「○○をしたい」という目的があってそのために使うのが道具です。
料理をしたいと思うから包丁という道具を使うし、野球をしたいと思うからバットやグローブという道具を使う。
言語もそれと一緒なんです。
言語の役割
じゃあ、いったい言語って何の目的のために使うのでしょうか。言語の役割とはいったい何でしょうか?
質問をさせてください。
ぼくたちが「日本語という言語を何のために使っているのか」を考えてみたことはありますか??
日本語を使うのって当たり前すぎて、そんなこと考えたことない人が多いかもしれません。
ぼくはオーストラリアに留学した時に、生まれて初めてその疑問について考えました。
分かりやすい考え方は、今、ぼくたちの生活から日本語がなくなったらどうなるか、と考えてみると日本語を使う目的が分かりやすいかもしれません。
身の回りにある日本語が、全く理解できない宇宙人の文字みたいになってしまったら、、、?
分からないが増えます
テレビを見ても何を言っているかわからないし、ネットを見ても、本を読んでも何の情報も得られません。友だちと話すこともできないし、相手に気持ちを伝えることもできない。相手が何を言っているのかもわかりません。
仕事だって大変になりますよね。
もしかしたら日本語がなくなってもできる仕事もあるかもしれませんが、少なくとも今よりも大変さは増すし、同僚や上司•先輩•後輩、お客さんとのコミュニケーションは大変になるんじゃないでしょうか。
恋愛や結婚生活もそうです。
日本語がなかったら、どうやって相手とコミュニケーションを取りますか?どうやってデートに誘い、どうやってデートを楽しみますか?
そんな風に考えてみると、日本語が使えるありがたさとともに、言語という道具の使う目的がわかってきます。
つまり、言語というのは、
- 人とコミュニケーションを取るため
- 気持ちや情報など、何かを伝えるため
- ネットやテレビ、本など、何かから情報を得るため
の役割があります。そのための道具です。
「英会話教室」という不思議
英語がコミュニケーションを取るための道具だということが分かると、ある疑問が浮かびます。
英語が道具なのであれば、
英語を勉強する目的というのは、
- 誰かとコミュニケーションをとるため
- もしくは情報を得たり、やり取りするため
になるはずです。
しかし、今の日本は、「TOIEC何点」「英検何級」などがステータスになっているので、そこで良い成績を取ることが英語を勉強することの目的になってしまっている人も多いと思います。
学生は特にですよね。
包丁でも野球のバットでもそうですけど、道具を使うにはある程度練習しなければなりません。
英語も同じです。「勉強する」と言うからややこしくなりますけど、道具なんだから、「英語を練習する」って言えばいいと思います。
すると、日本では不思議なことが起こっていることに気づきます。
今の日本には、英語を勉強する(つまり練習する)場所である「英語教室」「英会話教室」というのは山ほどありますが、
同じ道具である包丁には、「包丁の使い方教室」なんて聞いたことがないし、
野球のバットについても、「バットの振り方教室」なんてありません。
もしそんな習い事があったとしても、その習い事はつまらない気がしませんか??
「はい今日は1時間ひたすらみじん切りするよ〜」と切り続ける教室。
「はい今週は前回より重めのバットで振り方の練習するよ〜」ってひたすら素振りだけをする習い事。
その中で楽しさを見出すのってきっと至難の技です。
だって包丁使ってたら料理したくなるし、バット振ってたら野球したくなるし。
それが道具の本来の使い方のはずですから。
「料理教室」があって「包丁の使い方教室」がない、「野球教室」があって「バットの振り方教室」がないのは、包丁やバットがそれぞれ「料理をするため」「野球をするため」の道具であって、それを使うこと自体が目的じゃないからではないでしょうか。
素敵な鍋をどれだけたくさん集めても、使わなければ意味がないのです。
でも、さきほども言いましたが、
今の日本は英語を練習すること自体が目的になっちゃってると感じませんか?
英語のテストで良い点取ったり、TOEICで高得点取るのって結局、「包丁の使い方検定1級」とか「バットの振り方90点」みたいなことと一緒なわけですもんね。
もちろん、今、日本にある「英語教室」や「英会話教室」が無意味なんて言いません。
ぼくの知り合いにも英会話教室を主催している方や英会話講師をしている方が何人かいますが、英語を知識として詰め込むだけに留まらない強い思いをお持ちで、会うたびに刺激を受けます。
だからこれはきっと、習い事というのは通う側(英語を勉強したいと思っている側)の気持ちの持ち方が大切なんだと思います。
ぼくが英語を学んだ理由
ちなみにぼくが英語を学んだ理由は、
日本で保育士をしていた時に「海外の保育園で働いてみたい」「海外の人から保育事情をいろいろ聞いてみたい」という思いが出発点になって、オーストラリアに留学して英語の勉強を始めました。
「海外の保育園で働いてみたい」という目的があったから、そのために「英語が使えるようになる」という課題が出てきたわけです。
もしもそんなことを思わなかったら、ぼくは今も英語が使えないままだったと思います。
それまで日本で暮らしていても英語を必要とする機会なんて全くなかったし、23歳になるまで海外の人なんてほぼ関わったことがなく、それこそ中学校にいたアシスタントティーチャー??みたいな先生と、テレビと映画館でしか見たことなかったですから。笑
これはつまり良く言えば、日本では英語が使えなくても何の問題もなく暮らしていけるってことでもあるのですが、これからの時代はそうはいかなくなります。
それはこちらの記事↓で詳しく書いているのでぜひ
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【留学経験者が語る】子どもの習い事に”英語”を選ぶべき5つの理由
続きを見る
発音は"ネイティヴスピーカー"を目指すべきか
もう1つ。
日本人が英語を勉強するときに気にするのが発音や文法の正確さがあると思います。
日本人には「正しい文法を使わなければ」「綺麗に発音しなければ」という呪縛があります。
ぼくも英語を勉強し始めたときはこの呪縛を持っていました。
文法に自信がないから間違えるのが恥ずかしくて積極的に喋れない。
発音も上手くないから、どうしても小声になっちゃって。
そのせいで相手に「パードゥン?」って何回も言われるから繰り返し言わなきゃいけなくて、
でも結局伝わらなくて「あぁ、自分ダメだ」って、余計自信をなくして、、、
みたいなことの繰り返しでした(笑)
でも、オーストラリアで暮らしながら、いろんな国の人と知り合って、いろんな人と英語でコミュニケーションを取っていくうちに、「上手く無くてもまずは相手に伝わることが大切なんだ」と思うようになりました。
大きな声でいうとか、そういうことがまず重要だったんです。
保育園でも、「くだものの絵を描きましょう」という時間に保育園児が描くリンゴやミカンは、何が描きたいのかちゃんと分かります。
それと同じで、
「今は英語を話しましょう」という共通認識があるのだから、文法が多少違っても、発音がちょっと変でも、言いたいことは伝わります。
英語の本来の役割である、
- コミュニケーションを取ること
- 気持ちを伝えること
- 情報を得ること
ができればいいのです。
割り切った言い方をすれば、
ぼくたちは日本人であり、英語圏で生まれ育った人じゃないです。
日本語という土台の上に乗った英語でいいわけで、コミュニケーションを取るという目的が達成できればそれでいいんです。
プロ野球選手のイチローは「振り子打法」という一風変わった打法をやっていますが、メジャーリーグに行った当初は「あんな変な打ち方で野球ができるのか」ってめちゃくちゃ言われてたらしいです。
でも、今のイチローの評価を見れば、「道具やその使い方は、その目的が達成できればいい」と思えます。
それでも精度を高めることは重要
もちろん、いくら「伝わればいい」とはいえ、伝わるところまでの努力は必要ですし、道具だから精度を高めることは重要だと思います。精度を高めれば高めるほど、使いやすくなるし便利になるからです。
くだものの絵で言えば、保育園児のリンゴより、芸術大学の学生のリンゴの方がそりゃあ上手だと思います。
英語の場合だと、単語の語彙が増えるとか、会話のスピードが上がるとか、発音がより綺麗になるとか、ですよね。
さっきは伝われば発音はどうでもいいと言いながら、今度は発音が綺麗になることを挙げたりして矛盾しているように思えるかもしれませんがそれは目的の問題で、つまり、発音を完璧にすることが目的になってはいけないということです。
より円滑なコミュニケーションを目指したいからという思いで発音を向上させることを「目標」にするのはいいですが、それが「目的」になってしまうと本来の英語の用途から離れてしまうんじゃないかってことです。
さいごに
今回の記事で言いたかったことは、たった1つ。
「英語は道具」
これです。
英語がしゃべれるようになりたい人、もしくは、自分の子どもを英会話教室に通わせたいなと思っている人や、「英語を習っているけど、面白みを感じない。楽しくはない」と感じてる人はぜひ一度、「英語を覚えることが目的になっていないか」と考えてみて欲しいです。
英語は道具で、道具はある目的のために使うもの。
その「目的」が何なのかがはっきりすれば、英語を勉強するすることが今より面白くなるかもしれません。
子どもに英語を習わせたいのであれば、「なぜ英語が使えるようになって欲しいのか」を一度考えてみるといいかもしれませんね!
時間は有限ですから、他にやりたいことがあって、そのために何か練習したり覚えることがあるならそっちに時間を使ったほうが有意義だと思います。
とまぁぼくは「これからは英語が必要な時代だから」という漠然とした理由で英語を習ったり、小学校や中学校で全員が英語をやることには少々疑問を持っています。
オンライン英会話という選択肢
ちなみに、「考えた結果やっぱり子どもには英語が使えるようになって欲しい」と思った方にはオンライン英会話という選択肢があります。メリットたくさんでオススメです。
気になる方はこちら↓の記事を見てみてください♪♪
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無料体験レッスンができる子ども(幼児・小学生)向けオンライン英会話比較
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【留学経験者が語る】子どもの習い事に”英語”を選ぶべき5つの理由
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今回も最後まで読んでくださってありがとうございました。