はじめに
現代の日本に生きる若い人たちのほとんどは、学生生活を終えると社会へ出て仕事を始めます。
社会人の1〜2年目は覚えることも多く、目の前にやってくるのは新しい経験ばかり。
忙しいながらもあっという間に日々が過ぎていくでしょう。
しかし、3〜5年もするといろんな意味で自分に余裕が出てきます。そして同時に、新しい経験も減ってきます。
「生活のマンネリ化」というやつです。
後輩ができて自分が教える立場になったり、仕事の進め方や問題に対してどのように対応すれば良いかの知恵もついてきます。
「これくらいのエネルギーで取り組めばいいんでしょ」という要領が分かってくるわけです。
毎日が同じことの繰り返しのような気がして、新鮮味が無く、刺激も少ない。
遊ぶ友人たちもメンバーが固定されてそれはそれで楽しいのだけど、そろそろ新しい出会いが欲しいなぁと心のどこかで感じたり。
「最近なんか充実してないなぁ」
そう思うことが多くなるのが社会人3〜5年目ではないでしょうか。
そんな中、社会に出て数年が経って視野が広くなったからこそ思い始めることがあります。それは、
- 「今の仕事は本当に自分に合っているのだろうか??」
- 「やりたいと思っていたことに挑戦してみたい」
そんな思いを抱えた時に、どのような行動を選択するかで人生は大きく変わります。
挑戦してみようと決意して仕事を辞める人もいるだろうし、もうちょっと様子を見ようとそれからまた数年働き続ける人もいるだろうし、自分にはそんな勇気はないと判断して挑戦するのを諦めてしまう人もいるだろうし。
人それぞれです。
でも、挑戦せずに諦めてしまってもいいのでしょうか??
本当に後悔はしませんか??
なんでみんな「生活しなければならない」って言うの??
ぼくも、社会人4年目にそんな思いを抱えた一人です。そしてぼくは、仕事(公務員)を辞めて海外留学へ行きました。
ぼくの仕事は保育士です。日本の保育園がイヤになったのではなく、海外の保育園をみてみたいという思いが強くなったから行きました。
そして現地で英語を勉強し、現地の保育士資格を取り、最終的には現地の保育園で働くことができました。
留学していた2年間、自分がやりたいことをやっていたので毎日めちゃくちゃ充実していました。もちろん英語の勉強は大変でしたが。
そんな自分の経験も踏まえ、今回この記事で書こうと思うのは、社会人になって数年が経ち、今の自分、これからの自分に不安や不満を抱えている人に向けて、
「やってみたいことがあって、やろうかどうか悩んでいるのなら、いっちょやってみたらどうですか??」という内容です。
自分が人生で何をするかを選ぶのは、周りにいる誰でもなく自分自身です。
あなたの人生ですから、あなたが選べばいいんです。(もちろんそれに伴って発生する責任や不自由さもあなたのものになりますが。)
しかし、誰にでも経験があることかもしれませんが、何かに「挑戦」しようとしたり、生活を変えようとすると、それを邪魔してくるお邪魔虫思考がたくさん現れます。
今回はその中でも
- 「生活できなくなるから新しいことに挑戦できない」
- 「収入が不安定になるから環境を変えられない」
と言って挑戦することを諦めそうになっている人に考えてもらいたい話です。
多くの人は自分が気づかないうちに「生活しなければならない」という洗脳された思考が染み付いています。
なんで「生活しなければならない」と言う人が多いのでしょうか??
生活とは??
ここでまず「生活」について考えてみましょう。
あなたが中学生や高校生の頃、「生活」って一体どんなものでしたか??
ちょっと思い出してみてください。
朝起きて、ご飯を食べて、学校に行って、部活をしたりバイトをしたりして、友だちと遊んで、家に帰って、お風呂に入って、テレビを見たりゲームをしたり、SNSを見たりして、寝て、また朝起きて、、、
そんな日々の繰り返しだったんじゃないでしょうか。
これが一般的な学生の生活だと思います。
これが良い生活とか良くない生活とかそういうことが言いたいわけではなくて、多くの人にとって、学生の頃って「生活」とは単に「(生活)する」ものであり、「(生活)している」ものだったと思います。
じゃあ次に、あなたの周りにいる社会人を思い浮かべてみてください。自分の親、会社の上司、先輩などなど。
その人たちにとって、「生活」とはどのようなものでしょうか??
学生の頃との生活で違うのは、[学校]に行っていたのが[会社]に行くようになったり、[部活]をやっていた時間が[趣味]や[飲み会]に使われるようになったりといったところじゃないでしょうか。
ただ、ここで大きく違うのは「生活」の捉え方です。
あなたの周りには、「なんで働くんですか??」という質問の回答に、「だって生活しなければならないから」が口グセになっている大人ってどのくらいいるでしょうか??
学生の頃は「生活する」「生活している」だけのものだったのが、大人になると「生活しなければならない」ものになり、新しいことに挑戦したり環境を変えようとするときも「生活があるから」とそれを断念する理由の筆頭に上がってしまう。
不思議ですよね。
まぁ確かにその理由はわかります。
学生の頃は親が面倒を見てくれ、世話をしてくれ、自分の育てるためにお金を稼いできてくれました。そして今、自分は大人となり自立して社会の中でお金を稼ぐ立場にある。
結婚し、子ども育てる立場にもなる人もいる。
それを考えれば当然お金が必要になるから「お金を稼がなければならない」。
現代では「お金を稼ぐこと」=「生活をすること」ですから。
つまり「お金を稼がなければ生活できない」。となります。
だからお金を稼ぐために働いているんだよ、というのが大人の意見だと思います。
生活することは義務なのか??
さて、ではここで出てきた「生活しなければならない」ですが、これって一体誰に強制されているんでしょうか??
義務教育の小中学校であれば、「義務教育だから学校に行かなければならない」「法律で決められているから行かなければならない」ということはできます。
でも、高校や大学はどうでしょうか。
「○○だから高校(大学)に行かなければならない」の○○に入る理由、、、
そして社会人になって変化する「生活しなければならない」という考え方も。
「○○だから生活していかなければならない」の○○って、、、何が入りますか??
当たり前すぎてそれについて考えないことの方が多いのかもしれませんが、高校や大学、社会人としての生活を「しなければならない」って決めている法律なんて無いですよね。
つまり「義務」ではない。
あるのは「権利」です。
「行きたければ高校行っても良いですよ」
「働きたければ働いても良いですよ」
「言いたいことがあれば言っても良いですよ」
(でもその責任は自分で取りましょうね。)
みたいな感じです。
だから、さっきの○○に入る理由って限られると思うんですよ。大学でも仕事でも。それは例えば、
「自分で行く(やる)と決めたから、行く(やる)ことになった。」
「周りも同じようにしてるから、自分も行く(やる)ことにした。」
みたいに。
これ両方とも、自分の意思でそれをするって決めてますよね。
ということは、「生活しなければならない」って決めてるのも自分自身じゃないですか、ね。
今まで、「周りがそうだからとか」「そういうものだから」なんて思いで働いていたかもしれませんが、実際は自分で決めてたわけなんです。
「生活すること」とは「生きること」
ここまでの話で、「生活しなければならない」というのは法律で決められた義務ではなくて、自分自身がそうだと決めつけているだけだとわかったかと思います。
「生活すること」って誰かに強制されていることじゃないんです。だからそれに伴う「働くこと」も、親でも社会でも国でもなく、自分自身で決めていることってわけですね。
そして、ここまで話を進めると、ほとんどの人が同じ疑問を持ちます。ぼくもここまで考えた時に、疑問に思いました。
「生活しなければならないって誰かに強制されているわけじゃないっていうけど、生活しなかったらご飯食べられないじゃん。住むとこなくなるじゃん。死ぬじゃん。」と。
要するに、「生活しなければならない」っていうのは「生きなければならない」と同じ意味を持ってるってことです。
そうですよね。
ここまでいろんな疑問をたどってきましたが、ここで新たな疑問が生まれました。それは、
「なぜ生きなければならないの??」という疑問です。
(この疑問を考え出すとめちゃくちゃ時間かかるし、なかなか答えでないんでまた別の記事で、、、笑)
一つだけ言えるのは、「人間には生きる自由も死ぬ自由もあって、今生きている人たちというのは生きることを自分で選んだ人たち」ってことです。
だから生きることに関しても強制されているわけじゃないはずです。
ここでも先ほどと同じ、「生きる義務」じゃなくて、「生きる権利」があるってことなんです。
だから「生活しなければならない」っていう言い方は本当はおかしくて、「生活したい」ってことですよね。つまり「生きたい」ってこと。
挑戦したいことがあるのに「生活しなければならない」を理由にしちゃうと、「誰かに生活することを強制されていて、抵抗することを許されない、だから自分が挑戦したいことも挑戦できない」と思えることも出来てしまいます。
でも、ここまで記事を読んだ人なら、それは都合よく自分で作り上げた言い訳なんだってわかりますよね。
生きたいのはみんな一緒。じゃあ「どう生きる??」
そろそろ話も終盤です。
みんなが「生きたい」と思っていることは分かりました。
「生活すること=生きること」であり、なかでも現代においては「生活すること=お金を稼ぐこと」でした。
つまり、「生きること=お金を稼ぐこと」だってことですよね。
じゃあ、なんで世の中には仕事をやめて新しいことに挑戦する人があとをたたないのでしょうか?
仕事をしているということはお金を稼いでいるということであり、
お金を稼いでいるということは生活しているということであり、
生活しているということは生きているということです。
ということはたいていの日本人は、「生きたい」という本来の望みは叶っているんですよね。
でも、僕自身もそうでした(公務員を辞めている)が、仕事があっても新しいことに挑戦したくなってしまうんですよね。
より良い環境を求めたいんですよ、ぼくたちは。
さぁ、そこで重要になるのがこの質問です。
「自分は一体どうなりたいの??」
です。
一度きりの人生において、この質問ほど大事なものは他にないと言っても過言ではないくらい重要なこの質問。
例えばあなたが、「毎日笑顔で過ごしたい」と思った時、一体どうなれば毎日笑顔で過ごせるのでしょうか??
今の生活環境(仕事、人間関係、健康状態、収入等)でその生活を手に入れることができるのでしょうか??
「自分がどうなりたいのか??」を繰り返し考えていくと、何かに挑戦したいと思ったときに「でも生活が、、、」とはならないはずなんですよね。
だって、今の日々を続けても「なりたい自分にはなれない」「このままじゃ理想とする人生を送れない」と、そう思うから何かに挑戦したいと思うわけですもんね。
さいごに
さて、ここまで話を進めてきて、結局何が言いたいのか。
最初に書きましたが、今回伝えたかったのは「やってみたいことがあってやろうかどうか悩んでいるのなら、いっちょやってみたらどうですか?」という内容です。
- 新しいことに挑戦したいのに今の仕事を理由に一歩を踏み出せないでいる人
- 今の仕事が自分に合っているかどうかわからず疑問や不安を抱えながら日々を過ごしている人
そんな人に向けて、
「生活しなければならないから」「生活があるから」を理由にしているのなら、もう一度よく考えてみてはいかがでしょうか??
今の生活は、あなたが本当に望んでいて絶対に手放したくないほど理想的な毎日ですか??
もし違うなら、手放すことで新しい生活に近づけるのではないでしょうか??
お節介ながらそんなことを伝えたかったわけです。
繰り返しますが、生活するというのは誰かに強制されているわけじゃありません。自分でしたいと思うからしているだけのこと。
だったら、自分の決意と責任において、自分の挑戦したいことに挑戦してもいいはず。
一度きりの人生で、
「あの時あれをやっておけばよかったなぁ」と後悔混じりに振り返る人生と
「あの時あれに挑戦しておいてよかったなぁ」と懐かしさ混じりに振り返る人生、
どちらがお好みですか?
「働くこと」「生活すること」「生きること」は全て自分で選んでいるという事実をしっかり自覚してみると、「どう働こうか」「どう生活しようか」「どう生きようか」を考えたくなってくると思います。
それを考え抜いて考え抜いて行動を続けた先に、あなたが望む理想の毎日が待っているのだと思います。
今回も最後まで読んでくださってありがとうございました。
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あなたが今の生活に100%満足できない理由はたぶんコレです。
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