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【命の教育】なぜ料理番組でマグロは解体されるのにウシやブタは解体されないのか

かんかん

こんにちは。子育て情報ナビゲーターのチュロスです。
かんかん
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なぜ料理番組でマグロは解体されるのにウシやブタは解体されないのか


先日、友人と鍋をつつきながら食事をしていた際、なにかの流れでバロット』の話になりました。

【バロットとは】
バロットはフィリピンで食べることのできる、
孵化しかけのアヒルの卵のことです。
つまり、「
孵化しかけた鳥のヒナ」を食べるんです。

卵と鶏肉しか食べない日本人からすると信じられない食べ物なのですが、ぼくがフィリピンに行った時、バロットを売っている屋台があちこちにありました。

バロットを食べた友人は「暗い所で食べたらなんとかいける」と言っていましたが、ぼくは暗い所だろうと無理でした。

 

なぜいきなりバロットの話をしたかというと、

今回の記事で「動物(生き物)を食べること」について、子どもにどのように伝えていったらいいのかを、世界を旅した保育士の視点から紹介しようと思ったからです。

 

「動物を食べること」「命をいただく」ことは、このままバロットの話を続けてもできなくもないのですが、日本人にとってはあまりにも非日常的すぎるので、もっと日常的な食べ物で話を進めたいと思います。

 

実際に、冒頭で書いた友人たちとバロットの話をしたあと、その流れで「実際問題、牛や豚を食べるのもかわいそうだよね」という意見も出ました。

子どもの食育にはいろんな考え方や教え方があると思います。

この記事では、普段考えないことを改めて考える内容になっています。

ぜひ子どもたちと一緒に考えてみてください。

 

牛や豚を食べることについて

まずはじめに質問です。

牛肉や豚肉、鶏肉を食べることについて、あなたはどう思いますか?

オーストラリアで放牧されているウシ

現代の子どもたちは保育園や学校で、食べ物の栄養のことや「他の命をいただいている」ことを「食育」という形でおおまかに学びます。

ぼくが働いていた保育園でも、子どもたちに牛のイラストと牛肉のイラストを見てもらいながら、

保育士:「みんな知ってる〜?このウシさんが、このお肉になるんだよ〜」

子ども:「知ってる〜」

といったやり取りをしていました。

現代では、お肉といえば「パック包装されてスーパーに並んでいるもの」「焼肉屋さんで注文したらお皿に乗って厨房から運ばれてくるもの」という認識のみ子どもも珍しくありません。

ウシさんがお肉になってぼくたちはそれを食べる。子どもたちがこの流れを知るのは大切です。小さい頃に知っておきたい知識だと思います。

 

 

でもぼくは、オーストラリアでの生活や、アジア諸国を旅したことを通して、「子どもたちに教えるのは本当にそれだけでいいのかな?」という思うようになりました。

 

なぜか。

 

オーストラリアは農業・畜産大国です。もちろん屠殺場(とさつじょう)もたくさんあり、日本もたくさんの牛肉をオーストラリアから輸入しています。

屠殺場(とさつじょう)とは、牛や豚を殺して食肉へと加工する場所のことです。

 

ぼくがオーストラリアのラズベリーファームで働いていた時に、屠殺場で働いていたことのあるオーストラリア人男性と知り合い、いろいろ話を聞きました。

ちなみに屠殺場は英語で「Abattoir(アバトー)」と言います。屠殺は「Slaughter(スラウター)」と言い、この単語には虐殺(ぎゃくさつ)や殺戮(さつりく)という意味もあります。

 

海外での経験①屠殺場(とさつじょう)で働いていた友人の話

彼はこう言っていました。

「屠殺場では牛の眉間に銃みたいなものを当てて電流で殺すんだけど、その瞬間が一番かわいそうだ」と。

牛にもいろいろいて、眉間に電流銃を当てられると、あきらめたように大人しくなる牛と、嫌がって暴れる牛がいるそうです。

そんな彼の屠殺場での仕事内容は、息の絶えたウシの頭の皮をナイフで剥ぐことだったそうです。

しかもベルトコンベアで次から次へと流れてくるので、1頭あたりかなり短い時間で剥がなければいけなかったそうです。

 

ぼくは生まれて初めて聞く話に、想像しただけでもう衝撃的でした。それと同時に「日本では絶対に表に出て来ない部分だな」とも思いました。

 

 

海外での経験②ラーメン屋でブタの頭部を洗う

また別の経験として、ぼくがオーストラリアのシドニーで暮らしていた時の話もあります。

当時働いていたラーメン屋では、ブタの頭部も仕入れてとんこつのダシ取りに使っていたので、毎日運ばれてくるブタの頭を水洗いする仕事がありました。

ホントにそのまんまブタの頭。リアルなブタです。(本物だから当たり前なんですが。)

 

水を溜めた大きなバケツに5頭分くらいの豚の頭が沈んでいる様子を目の当たりにすると、イヤでも「命」についていろいろと考えさせられました。

あの経験は一生忘れることはないと思います。

 


屠殺場の話やラーメン屋での経験も、よくよく考えてみればこれらは当たり前のことで、ぼくらが普段スーパーで買うお肉も、焼肉屋さんで食べるお肉も全部、この過程を踏まえてから口に届いているはずなんですよね。

 

そう考えた時に、命ある状態から食肉に加工される過程を「気持ち悪い」「かわいそう」と目をつむり、スーパーに並んだ肉や焼肉屋で出てくる肉だけを見て「おいしそう」と言うのは不自然だと思うようになりました。(「命を奪う」という点で、屠殺自体がすでに不自然だという意見もあるかと思います。)

 

アジア各国で見た光景

また、ぼくがアジア諸国を一人で旅していた時、インドやフィリピン、台湾の街中では日本では見かけない状態で動物たちが売られていました。

フィリピン

例えば、フィリピン。

バロットに続きまたフィリピンですが、フィリピンには「レチョン」という伝統的な料理があります。

一言で言うと、「ブタの丸焼き」です。

フィリピンのとあるマーケット

フィリピンでは日常的な料理で、フィリピン人はレチョンが大好きだそうです。

しかし、写真を見て頂くと分かる通り、日本ではさすがにこの状態で店頭に並ぶことはないでしょう。

 

台湾

台湾ではニワトリ料理が多いので、飲食店や屋台の入り口に吊るされていることが多かったです。

頭やトサカまでちゃんと付いている所が、海外という感じです。

台湾のとある屋台

日本のお店ではこの状態で並べられることはありません。

 

インド

インドは1番衝撃的で、肉屋の店先に、今まさに落とされたばかりの子ヤギの頭が並んでいました。(さすがにあの光景は写真は撮る気にならなかったので、安心して下へスクロールしてください。)

子ヤギの頭は、売り物なのか廃棄するために置いてあっただけなのかわかりませんが、、、衝撃的な光景でした。

 

そして、この写真は、インドの街を歩くと普通に見かける肉屋さんです。(ちなみに外気温は30℃以上の日です)

インドのとある肉屋さん

 

 

肉のイメージはスーパーに並んだパック?

さて、ここまで牛や豚や鶏という、食肉のことについて書きました。

 

現代日本に生きる子どもたちは、お肉といえばスーパーマーケットでパックに入った状態のもの、もしくは焼肉屋で出てくる綺麗に皿に並べられた状態のものだと思い込んでいることが多いという話をさきほどしました。

 

いや、今の子どもたちどころか、ぼくたちの世代(30〜40代)ですら、お肉と言えばスーパーマーケットに並んだ状態を見て育ったんですから、もしかしたらもっと上の世代の人たちも、知識としては知っているけど、実際には食肉の加工過程は見たことないという人がほとんどかもしれません。

 

なぜ料理番組でウシやブタを殺すのはタブーなのか

そしてもう一つ、

日本には「牛や豚を殺すことはかわいそうだ」と思う風潮もあると思います。

もし仮に、テレビの料理番組で、生きている牛にナイフを刺して殺し、ステーキに加工する過程を紹介したあと、芸能人が「とても新鮮なステーキですよ」という場面を放送したら非難轟々の大炎上だと思います。

 

しかし、繰り返しになりますが、ぼくたちが普段食べている食肉は、その過程を越えて自分の眼の前にあるものばかりです。

 

このことを子どもたちにどのように伝えていくかというのは、賛否両論ありますよね。

「命の尊さを学ぶにはありのままを伝えることが必要だ」という意見があったり、「子どもにそんなものを見せたらトラウマになって肉が食べられなくなる」という意見があったり、考え方は様々だと思います。

 

いろんな考え方が入り混じった結果、日本では牛や豚を殺して加工して商品として並ぶまでの過程のことはあまり話されなくなってしまったのだと思います。

大人に質問しても、他の生き物を食べることについて「自分なりの考え」を持って上手く説明できる人は少ないように思います。

 

なぜ料理番組で魚を殺すのは問題ないのか

では、今度は別の視点から考えてみたいと思います。

別の視点、それはです。

例えば、スーパーの鮮魚コーナーや魚市場に行ったら、死んだ魚がそのままの状態で並べられていますよね。

テレビでは釣った魚をその場でさばいて食べる釣り番組や、マグロの解体ショーを紹介する番組などを観たことがあると思います。

 

鮮魚コーナーに並んだお魚さんたちを見て、「とても見てられない!かわいそう!」と思いますか?

「あら今日は鯛が安いわ」「あら、アジが新鮮そうじゃない」と感じるだけではないでしょうか?

 

もし肉屋さんで死んだ牛が並べられていても、「あら、あの手前のその子、新鮮そうね。そのウシのロース200グラムちょうだい」とはならないと思うんです。

 

 

他の例で言うと、釣り人に釣られて船の上でピチピチ跳ねている魚を見て「大変!早く水中に戻してあげなきゃ!」とどのくらいの人が思うでしょうか?

逆に、ウシやブタが水の中に放り込まれてブクブクと沈んでいったら、どのくらいの人が「かわいそう」と思うでしょうか?

どちらも想像してみたら、ぼくは絶対にブクブクと沈んでいくウシやブタをかわいそうだと感じると思いました。

魚だって生きているの生き物なのに、なぜ違いが生まれるのか不思議じゃありませんか?

 

ウシやブタと、魚の違いは何?

なぜ、魚が陸でピチピチしているのをそんなにかわいそうだと思わないのに、ウシやブタが水中にブクブク沈んでいくのを想像するとかわいそうだと思うのか。

 

なぜ、テレビで魚をさばくところは料理番組で放送するのに、ウシやブタをさばくところは放送しないのか。

 

数人の友人たちに尋ねてみたら、

  • 「体の大きさの問題じゃないか」
  • 「鳴き声があるからかわいそうだと感じるんじゃないか」
  • 「ほ乳類と魚類の違いじゃないか」

など

いろいろな意見がありました。

 

確かに、普段水の中で生きている生き物が砂浜に打ち上げらているのでも、イルカやクジラはかわいそうだと思いますもんね。ほ乳類という同類に対しては親近感みたいなのがあるのでしょうか。

でもそれを言い始めたら、「じゃあそもそもウシやブタ食べるなよ」という話になっちゃいますよね。

 

このことについてのぼくなりの結論ですが、ウシやブタと、魚への感じ方の違いというのは、

「小さい頃から見慣れているかどうか」

じゃないかと思うわけです。

 

「慣れ」は常識をつくる

日本で生まれ育ったぼくたちは、小さい頃から魚屋に行けばそのままの状態で魚が売られているのを見ていたし、テレビの中で魚が釣りあげられて船の甲板でピチピチ跳ねているのを見て育っていますよね?

 

だから「魚はこういうものだ」という概念が根付いちゃってるんだと思います。

 

逆にウシやブタは見慣れてないから、(魚とは逆の意味で「こういうものだ」という概念があるから)殺されるところや死んでいるところを見ると無意識でストレスが発生するのではないかなと思います。

 

そう考えると、ぼくが旅したアジアの国を思い返してみると、フィリピンでは子どもたちは小さい頃からブタの丸焼きを見ているし、台湾では店先にかかった鳥の丸焼きを、インドでは街を歩いているとヤギの頭を見かける環境で育っているから大人になってからもあまり抵抗がないのかなと。

 

その国の人たちは、ブタの丸焼きや首のついた鶏の丸焼きが目の前にあるのが当たり前だったんです、小さい頃から。

 

ちなみに、ネパールの山岳民族の家庭では、10歳の子どもでも一人でニワトリをシメる技術を持っていました。日本人は大人でもニワトリはシメられないですよね(笑)

その山岳民族の子どもは、「かわいそうだと思うけど生きるためにはしょうがないから、毎回感謝しているし、大切に育ててるよ」と言っていました。

 

だからきっと、小さい頃から身近な環境にそういうことがあると、抵抗がなくなるんだと思います。

まさにアインシュタインが言った、

「常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう」

という言葉が全てを現してくれているように、子どもの頃にどのような環境で育つかで身につく常識が左右されるということですよね。

 

身近に「生」と「死」があると「命を大切にできる」

そして、今回の話で重要なのは、ニワトリをシメることができる子どもは、
「小さい頃から見慣れているから動物を殺すことをかわいそうだと思わない」のではなく、
「生き物の命をいただいていることをより強く意識している」ことです。

 

時々、「子どもにウシやブタを殺す場面を見せるなんて悪影響だ!」と思っている人がいます。

その人はおそらく、「食べるために命をいただく行為」と「ニュース番組で流れる殺害事件」を、「殺すこと」という同じ枠の中にいれて考えているのかもしれません。

しかし、そう思っている人も、日頃からお肉を食べたり、高級な動物の皮のバッグを持っているいるのではないでしょうか。

以前、某高級ブランドバッグが使用しているワニ皮を生産するための養殖場の動画を見たことがあります。

製氷皿のようにコンクリートで区切られた狭い場所。

1つ1つの区切りの中でほとんど身動きが取れず餌だけを与えられて大きくなっていくワニ。

そしてワニがある程度成長すると口から長い棒を刺して命を絶ち、ワニ皮へと加工する。

それが1つ10万円を越えるようなブランドバッグへと変わってショップに並ぶ。

という動画でした。

 

ぼくは日本で暮らしていたら絶対に知ることのなかったことを海外に行ったことでたくさん知ることができました。「知らない方が良かったのかな」と思う時もありますが、いろんなことを知って価値観が変わったことも事実です。

 

小さい頃から「当たり前」だと思ってきた常識は、「今の時代に今この国だから」通用するものばかりです。それに慣れてしまっているんですよね。

慣れはすごいですが、同時にこわいとも思います。

 

 

子どもへの伝え方

tomwieden / Pixabay

最後に、この記事で1番メインとなる部分、子どもに「命をいただくこと」をどのように伝えたら良いのかについてです。

子どもに伝えるためには一体どうすれば良いのでしょうか。

ウシやブタが殺されて加工される様子を、はやりの工場見学のような「屠殺場見学ツアー」に参加させることでしょうか?

もしそれを始めたら、「そんなの見せられて、ウチの子どもがお肉食べられなくなったらどうするんですか」と言う人がたくさん出てくると思います。

 

ぼくの考えはこうです。

子どもたちにウシやブタの加工過程を、無理矢理や強制的に見せる必要はないと思います。しかし、子どもが自分からそういうことに興味を持った時には、周りの大人が食肉加工の話をしてあげたり、ネットで一緒に調べてみたりすることが良いのではないかと思います。

そして、間違っても「そんな不謹慎な話をするんじゃありません!」とは言わないようにしたい。

それを不謹慎だと思っているのは小さいころから見慣れてこなかった大人であって、子どもは特に深い意味もなくただ興味を抱いているだけですから。

 

もう一つ付け加えるなら、もし子どもがウシやブタの加工過程を見て、「もうこれから食べたくない」と自分で決めたならそれはそれでいいのかなと思います。

参考

  • ぼくがオーストラリアで暮らしていた時、食肉への加工過程を知ったことが理由で菜食主義(ベジタリアン)になった人に何人も出会いました。
  • 完全なベジタリアンとまではいかないけれど、肉食を極力控えるようになったという人にも会いました。
  • イスラム教ではブタは食べてはいけないのでイスラム教徒は豚肉を絶対に食べません。
  • ヒンドゥー教ではウシは神の遣いなので、絶対に食べてはいけないし、殺すのもいけません。

なにが言いたいのかというと、人間、ウシやブタを食べなくても生きていけるのです。昔の日本人だって農耕ばっかりして狩猟をほとんどしてなかった時期もあるみたいですからね。

 

さいごに

1番大切なのは周りにいる大人(親や先生)の態度です。

子どもが屠殺や食肉加工などを目の当たりにした時に、

「グロテスクで気持ち悪いね。あんまり見るもんじゃないよ」と声をかけるのか、

「見るのは辛いけど、人間はこうやって他の命をいただいているんだよ、だからもし食べる時は感謝をしなきゃね」と声をかけるかが、大きな違いになるのだと思います。

 

もしかしたら「日本で暮らしていたら別に見なくても生活できるんだから、わざわざ見せなくてもいいじゃん」という意見もあるだろうと思います。

ぼくは人それぞれ考え方や価値観はさまざまでいいと思います。

ただ、どんな考え方であれ、子どもに聞かれた時に「私はこう考えているよ」とはっきり答えられる考えは持っておいた方がいいと思います。


この記事を読んで、「生き物を食べること」「それを子どもへ伝えること」へのあなたなりの考え方を持つきっかけになればと思います。

最後まで読んでくださってありがとうございました。

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