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【ポーランド】[ユダヤ人大虐殺の現場]アウシュヴィッツ強制収容所で見た数々の衝撃

かんかん

この記事は2019年に結婚したぼくたちが新婚旅行で世界一周した時の記録です。

記事概要

【国・都市】ポーランドのアウシュヴィッツ
【概要】アウシュヴィッツ-ビルケナウ強制収容所を訪れた時の様子と感想

注意

本文中にはアウシュヴィッツで撮影した現地の写真が載せてあります。グロテスクなものはありませんが当時の背景を考えるとインパクトのある写真もありますので注意してください。

ホロコーストをご存知ですか?

学生時代に[ホロコースト]という言葉を学校で習いましたか?

ナチスドイツの時代にヒトラー率いるドイツ軍は「ユダヤ人は絶滅に値する」として、殲滅(せんめつ)を図りました。

その結果、なんと600万人近くのユダヤ人が虐殺されました(総数は諸説あり)。初期は集団絞首刑や銃殺で、後期は大量の人を狭いガス室に閉じ込めて毒ガスで殺害しました。

  • なぜそんなことが起こってしまったのか
  • 当時のユダヤ人はどんな気持ちだったのか

いろんな思いが頭をよぎります。

アウシュヴィッツ強制収容所とは

アウシュヴィッツ強制収容所は殲滅(せんめつ)収容所です。

殲滅(せんめつ)というのは、「絶滅」と同じ意味です。誰一人残らないように皆殺しにすることを指します。

1930年代のドイツは、ヨーロッパを征服するために近隣の国を攻め、領地を拡大していました。

その中でドイツは「ユダヤ人は劣った人種」だとして出生の抑制や死亡率の向上を目指す方式から直接的な殲滅を実行しました。

その殲滅の過程でたくさん作られた強制収容所の中でも、最大の殺害数になったのがここ、アウシュビッツ強制収容所です。

ホロコーストの博物館は各地にありますが、アウシュヴィッツ収容所が特別なのは、この場所が当時とほとんど同じ状態で残っている唯一の収容所であり、収容者が生活していた建物や実際に処刑が行われていた場所、ガス室の建物跡なども残っているからです。

あまり新婚旅行で選ばれる場所ではないかと思いますが、ぼくたちは新婚旅行(と言う名の世界一周)の際に行きました。

アウシュヴィッツ強制収容所の場所

強制収容所はポーランドのこの場所に作られました。


近くにはビルケナウ強制収容所もあります。アウシュヴィッツ強制収容所だけでは収容しきれない人数になってきたために広大な土地を切り拓いて新しく作られた強制収容所です。

最初のガス室殺害が行われたのはアウシュヴィッツ強制収容所でしたが、実際に大量の殺害が行われたのはビルケナウ強制収容所のため、現在は「アウシュビッツ-ビルケナウ強制収容所博物館」として、一体化しています。

今回ぼくたちは英語ガイドのツアーに参加しました。

ここからは実際に見たものや感じたことを書いていきます。当時のユダヤ人の気持ちを考えながら読み進めて頂きたいです。

アウシュヴィッツ強制収容所

アウシュヴィッツ強制収容所は1940年に開設されました。(日本軍が真珠湾を攻撃する1年前です。)

もともとポーランド軍が使っていた建物を増築して強制収容所として使用したそうです。

現在は観光客が敷地内に中に入るためには、ドイツ語で「働けば自由になれる」とかかれたゲートをくぐります。

当時、数千人の収容者が毎日この門をくぐり、過酷な長時間労働に出掛けました。

当時の労働は相当過酷なもので、満足な食事も与えられない収容者たちは毎日何人も労働中に命を落としたそうです。

労働の種類には「午前中に穴を掘らせ、午後にはその穴を埋める」という、懲罰としかいえない作業が強制されていたこともあったようです。

アウシュヴィッツでは1940年から1945年の5年間の間に130万人が連行され、少なくともそのうちの90万人がアウシュヴィッツに到着直後に殺害されました。

ユダヤ人たちは「強制移住」という名目で連れて来られているわけですから、まさか到着してすぐに家族や子どもたちと引き離されて、そのままガス室に送られるなんて考えもせず到着する訳です。

選別

強制収容所では、ユダヤ人が列車で到着するとまず男性の列と女性・子どもの列に分けられました。

そしてSS(ナチス親衛隊)医師が「労働可能」か「労働不可能」を判断して選別したそうです。

そして医師が「労働不可能」と判断した人々(主に妊婦・子ども・障がい者・高齢者)のほとんどが、そのままガス室に連行され、殺害されました。

ツェクロンB

ガス室での殺害にはツェクロンBという毒薬が使われました。実際に使用されたツェクロンBの使用済み缶も山積みになって展示されていました。

この毒薬はたった30分で800人の命を奪うことが出来たそうです。

日本の地方公立高校の全校生徒数が700〜800人くらいだったりするので、全校集会で体育館に集まる人数がたった30分で命を奪われることになります。

しかも、ガス室の大きさは高校の教室2つ分もないくらいの大きさでした。そんな小さな部屋に何の説明もないまま何百人も押し込められて命が奪われました。当時のドイツ軍は感覚が正常では無かったのだと思います。

奪われた物

当時、収容所に行く理由が「移住」だと聞かされていたユダヤ人たちは当然それまで使っていた日用品や衣類を大きなカバンに詰めて一緒に運んでいました。

新たな場所で生活が始まると思っているのですから当然ですよね。

しかし、現実は違い、強制収容所に着くやいなや、所持品は全て没収されました。

アウシュビッツには当時没収された日用品なども展示してあるのですが、圧倒されるのがその数です。没収された全体量の一部とは思えないほどの量が展示されていて、この1つ1つに所有者がいたと思うと恐怖を覚えました。

【食器】

 

【カバン】

 

【ブラシ】

ブラシや食器などの生活用品は列車を降りると同時に手放すよう指示があり、
メガネや靴や義足などはガス室に入る直前に全て手放し、人々は全裸の状態でガス室へ送られました。

 

【めがね】

 

【靴】

 

【義足・松葉杖】

さらに、当時は性別に関係なく収容所到着時に髪の毛を切られたそうです。

展示棟にはドイツ軍によって断髪された女性の髪の毛が約2トン、山積みになって展示されていました。(このエリアは撮影が禁止されているので写真はありません)

山積みになった髪の毛を見て、あまりの量に「いったいどれだけの命が奪われたのだろう」「自分の意思に関係なく髪を切られる女性はどんな気持ちだったのだろう」といろんな思いが巡りました。

当時は切られた髪の毛を使って織物が作られ、売られていたそうです。

敷地内

強制収容所の敷地内は、収容者が逃げられないように有刺鉄線が張り巡らされ、高圧の電流が流されていたそうです。

中には、収容所での労働に耐えかねて自ら有刺鉄線に触れて命を絶った収容者もいたようです。

収容所での暮らし

収容所での暮らしはユダヤ人が非人間的な扱いをされていたことがよく分かります。

ワラが敷かれただけの就寝場所、身動きが取れないくらいの細長い3段ベッド。仕切りもなにもないトイレなどです。

【ベッド】


【トイレ】

 

【当時の様子】

アウシュヴィッツ強制収容所はもともとポーランド軍兵のために建てられた建物なのでまだ作りがしっかりしていました。

しかし、この次に訪れることになるビルケナウ強制収容所は被収容者(ユダヤ人)を収容・殲滅するために作られた施設であり、アウシュヴィッツとの違いや収容者の扱いの違いにとても驚きました。

ビルケナウ強制収容所

ビルケナウ収容所へは無料のシャトルバスがあり、約5分の移動距離です。

この風景↑を何かの機会に見たことがあるかもしれません。

これは輸送されてくるユダヤ人たちが効率よく移動できるように、ビルケナウ収容所の中心まで列車が入る引き込み線路が引かれているのです。

ぼくはこの門を見た時に、「列車の窓からあの門が見えた時、くぐった先に何が待ち受けているのか、当時のユダヤ人たちは何も分からないまま列車に乗っていたんだろうな」と思って複雑な気持ちになったのですが、現実はもっと過酷でした。

これ↓が当時ユダヤ人の輸送に使われていた列車の車両の模型です。
窓もなく、大量の人間が詰め込まれた状態で食事も水も与えられない中での長時間の移動は過酷を極めたと思います。

ランペ(降車場)

列車の最終到着地であるランペ(降車場)では、SS(ナチス親衛隊)医師による選別が行われ、「労働不能」と判断された人はその日のうちにガス室で殺害されました。

特に妊婦や子どもは「労働不能」と判断されることが多く、ただちに殺害されたそうです。

多くの戦争では女性や子どもはさまざまな理由から生かされることが多いのですが、ホロコーストは「種の絶滅」が目的だったので、種の存続の可能性に繋がる女性(特に妊婦)や子どもが優先的に殺害されました。

現代であれば「ユダヤ人だって同じ人間なのに」と思えますが、当時はそんな感覚が無かったのだと思います。

さらに辛いのは、列車を降りたと同時に男性だけは列を分けられ、男性と女性は居住区も違ったため、家族で到着した男性は自分の妻や子どもがどうなったかを知る術がありませんでした。

ガス室での殺害は当時から絶対的な秘密だったので収容者が知ることはできませんでした。

収容男性の中には過酷な強制労働に苦しみながら「家族を残して先に死ぬわけにはいかない」「この日々を乗り越えればまた家族に会える」という希望だけを糧にして生き抜いていた人もいると思います。到着した日にはもう妻と子どもはガス室で殺害されていたにも関わらずです。

バラックでの暮らし

「労働可能」と判断された人々は過酷で理不尽な強制労働を強いられながら木製のバラックで生活しました。

ビルケナウでは当時の建物を見学することができます。

ガイドさんの説明によると、当時の生活は相当過酷だったことが伺えます。

これはトイレです。排水設備もままならず、当時は不衛生かつ酷い匂いを放っており、さらに排泄時間は1日2回だけ(午前と午後の1回ずつ)だったそうです。

真冬にはマイナス20度くらいになるビルケナウです。居住バラックにはレンガで作られた暖房もありましたが、使用されることはほとんどなく、機能しなかったようです。

居住バラックにある木製の3段ベッドにはワラが敷かれ、ベッド1台を6〜7人が使用していたそうで、毛布も穴の空いたボロボロの1枚を2〜3人で使う状況だったそうです。

ガイドさんいわく、一番過酷だったのは下段で寝ている人で、当時は衛生環境も悪かったために下痢やチフスなどが慢性的に広がっていました。そのため、下段で寝ていると上から体調不良者の下痢や嘔吐が落ちてきたのだそうです。

思わず耳を塞ぎたくなる話ですが、ほんの75年前に、何万人という人がユダヤ人というだけでこの生活を強いられていたこと考えると、問題にしっかりと向き合って自分なりの生き方に活かさなければいけないのだと思いました。

広大な土地

ビルケナウ収容所はアウシュヴィッツ収容よりも広大な土地に作られ、最大で9万人が収容されていたそうです。

4つのガス室と焼却炉は収容者からは見えない位置に作られ、ユダヤ人殲滅のために稼働していました。当時の記録によるとアウシュヴィッツ-ビルケナウの焼却炉全体で、焼却能力は1日あたり4756体分あったそうです。

証拠隠滅

戦争に負けそうになったドイツ軍は、施設の多くを爆破したり放火してその証拠を隠そうとしたため、現在はガス室や倉庫等は枠組みが残っているだけだったり、レンガが散乱しているだけになっています。

それでも、建物に続く道や建てられていた配置を見ると、ガス室が森の中にあったり、収容バラックから見えないように倉庫が建てられたりしていて、非人道的で重大な犯罪を犯しているという自覚を持ったままユダヤ人の殲滅が行われていたのかなと思えました。

 

現地で強く感じたこと

今までいろんな国の戦争に関する博物館(ベトナムの戦争証跡博物館や鹿児島県の知覧特攻平和会館など)に行きましたが、今回、アウシュヴィッツとビルケナウを見学をしている間、今まで感じたことのない不思議な感覚がずっとありました。

おそらくその理由は、このアウシュヴィッツやビルケナウが当時とは別の場所に建てられた博物館ではなく、当時の敷地、実際に使われていた道を歩くことになるので、感じる重みが全然違ったのだと思います。

 

祖国を追われて強制収容されていた何十万人の人や、ガス室に送られた100万人近い人が実際に歩いた道です。非人間的な扱いをされていた人々が実際に生活していた場所なんです。

それもほんの75年前の出来事です。ぼくだって生まれた時代が違えばどうなっていたか分かりません。

ぼくが現地で強く感じたのは、このホロコーストという歴史を「悲しい」「かわいそう」で片付けるのではなく、自分なりにしっかり考えなければいけないということでした。

人類史に残るこの非道をどう捉えるか。もちろん、加害者側である当時のドイツ軍やナチスの思想なども合わせて知る必要があると思います。

日本の戦争の歴史と同じように、歴史を風化させることなく次の世代に伝え、過ちを繰り返さないようにしなければいけないと強く感じました。

 

まとめ

今回は、「アウシュヴィッツ-ビルケナウ強制収容所」の様子と感想をまとめました。

ヨーロッパの中でドイツやポーランド、その周辺国を観光していると、歴史的背景から「ナチスドイツ」「ホロコースト」「第二次世界大戦」に関する博物館や記念碑をたくさん見ます。

日本が戦争をしていた同じ時期にヨーロッパでは何が起こっていたのかを改めて考える機会になりました。

戦時中や戦後の日本も相当大変だったと思いますし、あの場所で当時のユダヤ人たちが「ユダヤ人というだけで国を終われ、無条件に殺される恐怖」と戦っていたかと思うと、これらの出来事を「繰り返してはいけない出来事」として後世に伝えていかなければいけないと強く思いました。

この記事もそんな思いで書いたつもりです。シェアされてたくさんの日本人に届いたらいいなと思います。

アウシュヴィッツまで足を運べる人は多くないかもしれませんが、インターネットが普及した現代では日本にいながらいろんなことを調べることができるので、一度考えてみてください。

 

最後まで読んでくださってありがとうございました。

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