こんな話を聞いたことがありますか?
どこかの国の小さな子どもが突然、1回も行ったことのない場所の話を鮮明にしたり、今とは違う名前を名乗り、当時の家族や自分が死んだ時の状況まで細かく覚えていることなどもあるそうです。しかも、子どもが語るその場所に行くと、数年前にその名前の人が実在していて、その子が語るまんまの状況で亡くなったことが明らかになる。
「人は生まれ変わる」ということを示す典型的な例ですね。
そうなんです。人は何度も生まれ変わるという考え方があります。
まぁ、ぼくはこういう「ほん怖」みたいな話はすごく苦手なのでさらっと進めたいのですが、
この「人は何回も生まれ変わる」という考え方を知ると、意地悪なあの人や非常識なあの人に優しく接することができるんです。
あの人はいったい「人間」何回目??
若くして天才と呼ばれる人たちがいます。
スポーツで有名な子ども、芸術の世界で有名な子ども。
あっという間に才能を開花させ、瞬く間に実力を伸ばし、「日本一」や「世界一」に手を届かせるような子どもたちです。
その子たちは生まれ変わっている回数が多いから、今回の人生が始まってまだ十数年しか経っていないのに世間をアッと驚かすことができます。
今何歳かではなく、
「人間として何回生まれ変わっているか」に焦点を当てます。
「ありがとうの神様」(小林正観・ダイヤモンド社)という本にこんなことが書かれています。
「鉱物」が10万回生まれ変わると「植物」に、
「植物」が10万回生まれ変わると「動物」に、
「動物」が10万回生まれ変わると「雲」を経て「ヒト」になるようです。その後、生まれ変わりの回数を重ねながら「感謝の心」に目覚め、
やがて「人間」になると考えられます。「ヒト」に生まれ変わって初期のころ、生まれ変わりが「3万回未満」では、
人生を「つらい、悲しい、つまらない」ととらえます。一般的には恵まれている状況、たとえば、
両親が人格者で、経済的にも恵まれ、容姿もよく.......
という環境を与えられているにもかかわらず、
それでも「不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句」だけで人生を終えるのが、この段階です。、、、以下略
この話が本当かどうかは別として(たぶん調べる方法がないから永遠に分からないですが)、
こう考えることで、あなたの周りにいる意地悪なヒトや非常識なヒトへの見方が変えることができます。
非常識なヒトはまだ数回目
たとえばあなたが街で出会う非常識な人、
「なんなのあの人、マジありえない」って人たまにいませんか。
しかもそれがそこそこいい歳したオジサンやオバサンだったりするからさらにイラってしますよね。
並んでいる列に平気で割り込む、唾を吐く、
場違いな声量での会話、ポイ捨て、、
実はあの人たち、まだヒトとして生まれ変わって間もないんです(と思うんです笑)。
だから、人に迷惑かけちゃうし素直に謝ったりできないし変にプライド高いしって感じなんです。
今の人生で何歳かってことは関係なくて、
何回目の人生か、つまり、(便宜上)魂として何年生かで判断するわけです。
ちなみに街でそういう人を見て、「ありえない」と思うってことは、
少なくともその人は(魂の学年として)あなたより下級生だってこと。
中2のあなたが友だちと自転車で下校中に公園を通りかかった時に、
保育園児が砂場で砂を投げているのを見て「幼いなぁ」と思うのと同じです。
意地悪なヒトもまだ数回目
あなたが苦手とする人も同じです。
意地悪な人、性格の悪い人、めちゃくちゃに自分勝手な人、
そういう人たちもきっとヒトとしての生まれ変わりが始まったばっかり。
だから、大人なのに子どもみたいな振る舞いをしてしまうわけです。
たとえば、その人がまだ2回目のヒトとしての人生だとしたら、
今40歳だろうが50歳だろうが、人生を通してイヤイヤ期なわけですよ。(笑)
だから、もし意地悪な人や性格の悪い人、非常識な人と出会ってしまったら
「あ、このヒトはまだ(生まれ変わりが)3回目くらいなんだな、勘弁してやるか」と、
あたたかい眼差しで見てあげましょう。
上には上がいる
ただこの考え方には注意点がありまして、生まれ変わりの学年には無限に階層があるのです。
ここまでいったら卒業とかではない。
強いて言うなら、
超上級学年にいたのがブッダとかイエス・キリストとか、
何千年もこの世に名前を残し続けている偉大な諸先輩方だったり、
それよりはもうちょっと下の高等学年くらいになると、
アインシュタインとかレオナルド・ダ・ヴィンチとかノーベルとか、
ガンジーとかマザー・テレサとか、
教科書に載るような方々だと言えるかもしれません。
というわけで、
周りに非常識な人や意地悪な人がいるからといって、
それが自分より下級生だからといって、
見下したりバカにしてはいけないわけです。
中2のあなたが友だちと自転車で下校中に公園を通りかかった時に、
保育園児が砂場で砂を投げているのを見て「幼いなぁ」と思ってるその後ろで、
「この中学生、狭い歩道を横並びで自転車乗って周りに迷惑だなぁ。」と思っている
大学生のお兄さんがいたりするのです。
そしてさらにその大学生のお兄さんを見ながら、「こやつ、スマホいじりながら自転車にのりおって危ないのぉ」と杖をついた仙人のようなお年寄りが歩道脇のベンチからみていたりするもんです。
つまり、上には上がいます。
生まれ変わりの回数が多いから偉いとか、少ないから存在価値がないとかではありません。
赤ちゃんを見て「周りに助けてもらってばっかりで生きてる価値ないよね」なんて思わないですよね?
それと同じです。
みんなそれぞれの学年を、それぞれの課題を持って生きています。(と考えるわけです。)
さいごに
こうやって考えると、
会社の上司だろうと、年上のママ友だろうと、街で出会うお年寄りだろうと、
今現在の年齢に関係なく生まれ変わりの多い人と少ない人がいるわけです。
普段、誰かに対してイヤな思いをしていますか?
非常識なヒト、自分勝手なヒト、嫌いなヒトがいますか?
その相手は、まだヒトとしての生まれ変わりが少ないのかもしれませんね。
マナーや人間関係を勉強中なんです。
子育てと同じで、「自分も昔はそういう時期があったんだしな」と思うことができれば、
非常識なヒトや自分勝手なヒトたちのこと、温かい目で見てあげなきゃなと思えますよね。
と、考えてみるわけです。
これでさっそく明日から、
非常識なヒトや自分勝手なヒトに優しく接することができそうじゃないですか??