ロボットやテクノロジーの進歩がすさまじいですね。
日常生活のあれこれがどんどん自動化されていきます。
スーパーマーケットやGUやユニクロなどでも、レジが自動化されて人がどんどんいなくなっています。
普段お金を引き出すときも銀行の窓口よりもATMを使う方が多いのではないでしょうか。
子どもたちも幼いうちからスマホやタブレットと関わり、
「デジタルネイティブ」という、まだパソコンやスマホが無かった頃を知らない世代が増えて来ました。
このままのスピードでいけば、今ある職業がどんどんなくなっていく可能性があります。
実際、2013年にはアメリカで「10年以内には今ある仕事の47%がなくなる」という予想も発表され、
5年経った今、その状況が着々と近づいているように思います。
さて、ここで心配なのは「今の子どもたち」です。
このままロボットやテクノロジーが進歩していったら、
今の子どもたちが大人になる頃には
今ある多くの仕事をロボットがやるようになって、
子どもたちが就ける仕事が少なくなるんじゃないか。
そんな心配が頭をよぎります。
そこで今回は、
みんなのギモン
- 今の子どもが大人になる頃には職業はどうなるのか
- そもそも職業とはなんなのか
を考えてみたいと思います。
職業とは?
あなたの職業はなんでしょうか?
あなたの旦那さんの職業はなんでしょうか?
ちなみにこの記事を書いているぼくの職業は保育士です。
世の中にはたくさんの職業がありますね。
ではそもそもですが、職業とはなんでしょう?
言い換えれば「仕事の名前」ということになりますが、なぜみんな職業に就いているのか。
考えたことはありますか?
「職業」の本来の意味
一般的には「職業=何をしてお金を稼いでいるか」
だと思われがちですが、
職業の本来の意味は「社会の役に立つこと」です。
つまり、誰かの役に立つことです。
10年後には現在ある職業の47%が無くなるなんて言われていますが、
社会のためになる役割は消えません。
時代が変わって廃業になる仕事があっても必ず次の職業が生まれます。
みんなが手紙や年賀状を送らなくなって郵便配達の仕事が減ったとしても、
その代わりに発達したLINEをアップデートすることやLINEスタンプを作るという仕事が増えています。
つまり、「連絡を取り合う」という役目が
郵便からLINEに変わったわけです。
誰かの役に立つことを職業と呼ぶのであれば、
子どものために育児をしている「お母さん」も立派な職業だし、
旦那さんを支えている「主婦」も立派な職業ということになります。
職業と聞くと「お金を受け取る」ことがイコールになる人が多いので勘違いしやすいですが、
それはサラリーマンが人の役に立つことで毎月お金をもらっているから、
「職業=お金を稼ぐこと」と繋がりやすからです。
お金を受け取らなくても「社会の役に立つこと」であれば、
たとえば「ボランティア」や「慈善活動」も立派な職業ということになります。
慈善活動を積極的に行うお金持ちは、
生活するためのお金は株式の配当や資産運用の金利で得ることができるから出社して労働する必要がないわけで、
「慈善活動家」が職業ということになります。
お金を稼ぐこと=職業じゃないんですね。
ロボットに仕事を奪われる??
お金を稼ぐこと=職業になってしまうと、
毎日イヤイヤ出勤して好きでもない仕事をするような苦しい思いをすることが必要になります。
現代は生活するためにお金が必要なので、
お金のためにとストレスを溜めて我慢しながら長時間労働することが「善」になってしまいます。
その考え方は当たり前のように思われがちですが、
しかし、それはいろいろなことを人間がやるしかなかった時代に生まれた考え方です。
たとえば、駅の改札がそうです。
昔は自動改札が無かったので、ペンチのような道具で駅員さんが一人ひとりの切符にパチンパチンと印をつけていました。ぼくは父親が鉄道駅員ということもあり、小さい頃にそのペンチのような道具でパチンパチンと真似をした記憶があります。
でも現在は自動改札が当たり前です。
さらにICカードも普及して磁気の切符も少なくなりました。
電話もそうですね。
今は掛けたい人にダイヤルすれば直接繋がりますが、昔は違ったそうで。
以前は誰かに電話をかけようとダイヤルすると、一度「交換手」というオペレーターに繋がって、
その人が着信先の電話を呼び出してくれる仕組みだったそうです。
例えば、ぼく(柴田)が友人の山田さんに電話を掛けたいとすると、
交換手の人に「電話番号○○○○の山田さんに繋いでください」とお願いします。
すると交換手が山田さんに繋いで「柴田さんからお電話です、繋ぎますね」という手順だったそうです。
ちなみに、日本人のぼくたちが電話をする時に「もしもし?もしもし?」という意味不明な呪文を唱えるのはこの時の名残だと言われていて、当時、交換手の人は着信先を呼び出した時に「申します申します。山田さん、柴田さんからお電話です。」と対応していたそう。
その「申します申します」が崩れに崩れ、
現在の「もしもし」になって定着していったようです。
なんでそんなことを知っているかとうと、
オーストラリア留学中、イタリア人の友達に「電話に出る時のその"もしもし"ってなんだ?」と聞かれ、「よく分からん、日本ではみんな言う、挨拶みたいなもんだ」って言ったら「なんだそれ(笑)、Hello(こんにちは)でダメなのか?」ってめっちゃ笑われたので調べたことがあるんです(笑)
話が逸れました。
この話で伝えたかったのは、当時の「電話交換手」という職業は今はもうないということです。
駅員さんはまだ今もいますが、以前と業務内容は変わっているでしょうし、
電話交換手のようにテクノロジーの進化で無くなってしまった仕事もあります。
この先、ロボットやテクノロジーが発達すると仕事が無くなるという意見がたくさんあります。
コンビニやスーパーなどではすでに自動のレジや棚出しロボットがあります。
郵便配達の仕事も、手紙がメールになり小包をドローンが運ぶようになれば、職業が無くなるかもしれません。
しかし、ここで今一度考えた方がいいのは、
その仕事をなぜ人間がやらなければいけないのか
です。
本当に人間がやる必要があるのでしょうか?
先ほどの切符確認や電話交換手のように
昔は、人間がやるしか無かったから仕方なくやっていただけの仕事もあると思います。
もし、
「今の仕事をやらなくても、毎月同じだけの給料をあげるよ」
と言われたら、「なら今の仕事はやーらないっ」という人も多いと思います。
今の仕事が好きで好きでしょうがないことなら、ロボットではなくあなたがやった方がいいですが、
そうでないなら、それをロボットがやってくれるというんならありがたくお言葉に甘えて、自分は他にやりたいことや楽しいと思えることを仕事にしたらいいと思います。
そうすれば、仕事に対して文句を言うことも、仕事に行きたくないとストレスを抱えることも少なくなるはずです。
仕事への愚痴って、「本当はやりたくないことをやっているのに、それに対する対価(給料やストレス)がこれだけってどうゆうこと?」って意味合いが根底にあることがほとんどですもんね。
将来の職業
ぼくは、今ある職業が無くなっていくことにあまり不安を覚えていません。
というのも、今ある職業がなくなっても、必ず新たな職業が生まれるからです。
今ぼくの職業である「保育士」も、
10年後20年後に職業としてあるかどうか分からないと思っています。
少子化で子どもが少なくなるからというのもありますが、
保育士というのはもともと、親が(共働きなどで)日中に小さな子どもの世話ができないから代わりにお世話する役割です。
この先時代が変わって「お金のために」と共働きする必要がなくなってきたり、「子どもが小さいうちは保育園に預けないで自分で育てたい」というママたちの需要がより強くなって原点回帰みたいになる可能性は大いにあります。
小さな子どもを家庭でみるのが当たり前になってしまったら、今の保育士としての役割が必要なくなるわけです。
もちろん、「子どもに集団生活の場を経験させたい」とか「幼児向けの体育指導をお願いしたい」という需要は残ると思うので、教育する役割としての保育士という職業は残るかもしれませんが。
これは保育士の例ですが、
今の子どもが大人になる頃、
今現在当たり前にある職業が無くなっていも代わりに新しい職業が必ず生まれるはずです。
人間が暮らしている以上、人間の役に立つ役割というのは決して無くならないからです。
よって結論を言うと、
今ある職業の半分がなくなるかどうかは未来になってみないと分かりませんが、もしそうなっても大丈夫!!
そのぶん新しい職業が生まれ、
その頃には人がやらなくてもいい仕事はロボットがやってくれるようになるので、
人はそれぞれ自分が本当にやりたい職業をするようになるでしょう。
そうすれば「仕事は楽しくないものだ」から「仕事は楽しいものだ」とイメージも変化していくことでしょう!!
そうなった時、その変化に対応できるかどうかが重要になります。
今の子どもたちに教えていきたいのはそういった変化に対応する力だと思います。