仕事・働く

【安定を捨てた??】ぼくが24歳で公務員を辞めて海外に行った理由

かんかん

数年前、ある市役所の退職式の日、会場となった市役所の一室には市長や部長級の職員が正装をして立っていて参加者の列には定年退職者がずらりと並び「長年おつかれさまでした」「寂しくなるよ」という声が飛び交っていました。

その中にポツンと一人だけ、24歳の若者がいました。ぼくです。

数年前までぼくは地方公務員でした。でも2年で退職しました。

そもそも定年以外で公務員を辞める人が少ない中で、たった2年で退職した当時のぼくが何を考えていたのか、そしてその結果どうなったのか。

今回はそんなことをまとめたいと思います。

この記事はこんな方におすすめ

  • 社会人1〜4年目くらいの人
  • 子育て中のママやパパ
  • 子どもと関わる仕事をしている人

略歴

ぼくの職業は保育士です。

公務員じゃないの!?と思われる方もいるかもしれませんが、保育士の働き方は大きく分けて2種類あります。それが公立保育園と私立保育園です。

たとえば、高校でも公立高校の先生は地方公務員ですが、私立高校の先生は公務員ではありません。それと同じで保育士も公立の保育園の正規職員は保育士なんです。

高校の先生は教員採用試験を受けますが、公立の保育園の先生は公務員採用試験を受けます。あまり知られていないことかもしれません。

ぼくは、大学生の時に公務員採用試験を受けて内定をもらい、公立保育園の正規保育士として社会人生活をスタートさせました。公務員であり、保育士でもある。それがぼくの社会人1年目でした。

 

しかし2年後に公務員を辞めてぼくはオーストラリアへ留学に行きました。そしてオーストラリアで英語を必死に勉強して、現地の保育園で働きました。そのあとは2ヶ月間、アジアの国々を旅していろんな経験もしました。

日本に帰ったあとは、介護施設で働いたり、保育園の新規立ち上げ事業に関り、現在もその保育園で保育士として働いてます。

これがぼくの略歴です。もっと詳しく知りたい方は自己紹介をお読みください。

 

なぜ公務員を目指したか

freephotocc / Pixabay

ぼくが保育士になろうと思ったのは高校生の時ですが、公務員の保育士になろうと思ったのは大学に入ってからです。

ぼくが公務員を目指した理由は1つ。それは周りにいた大人から薦められたから。

「公務員は安泰だから」「役所仕事は手堅いぞ」「保育士で一生食べていくなら公務員じゃないと厳しい」

こういうことをたくさん言われました。

 

そう言われ続けた高校・大学時代のぼくは、周りの大人が「公務員がいいぞ」ということに対して「ふーん、そうなんだ。じゃあ目指そうかな」ってくらいの気持ちで。

公務員について深く調べたわけでもなく、他の選択肢を考えたわけでもなく、「ふーん、(親や先生が言うなら)そうなんだろうなぁー」くらいにしか思っていませんでした。

だから特に疑問も持たず、気づいた時には自然と公務員を目指す準備をしていました。

そしてそのまま公務員試験を受ける時期になり、一次筆記試験、二次面接試験と順調に通過し、内定をもらうことができたのです。

内定をもらったぼくの気持ちは、こうでした。

「よし、これで将来設計をしやすくなる」「バイトで土日が潰れることがなくなる」

どこにでもいる普通の大学生の感覚だったと思います。(笑)

あ、もちろん、保育士として子どもたちと関われることには期待と喜びがとても大きかったです。

 

なぜ公務員を辞めたか

しかし、そんなぼくはたった2年で公務員を辞めました。

ぼくが公務員を辞めた理由は主に5つあります。

これは、もしかしたら公務員という立場に限らず、日本で働く若者(特に社会人1〜4年目くらいの人)には共通する部分があるんじゃないかと思います。

順番にみていきますね。

理由①30年後の姿に憧れを持てなかった

995645 / Pixabay

1つ目は自分の将来の姿を見た時に憧れが持てなかったというのがあります。

自分の将来の姿というのは、同じ会社にいる先輩や上司のことです。同じ会社で働いている以上、みんな同じ線路の上を進んでいると思って間違いないと思います。

もちろん途中で分岐点はあると思うのですが、同じ路線を進む以上、後輩である自分はたくさんいる先輩や上司の中の誰かに行き着くわけです。

特に公務員というのは年功序列がしっかり根付いているので、「何年働いたら給料はこれくらい」「何年経った課長級」「最後の数年は部長級」みたいにイメージできてしまうんですよね。

もっと具体的に言えば、「だいたい◯歳くらいで結婚して、◯歳くらいで新車のマイカーを買って、そのあと子どもができて、マイホームを30年ローンで建てて、、、カレンダー通りの休日には趣味や家族サービスに精を出す」みたいな生活がありありとイメージできてしまったんです。

周りにはこれを「将来設計ができて安心」だと捉える人が多かったんですが、ぼくはそうやってある程度見えてしまっていることが(誤解を恐れずに言うと)「なんだかつまらないな」と思ってしまったんです。

(たぶん公務員ってそういう「安心」を求めている人が目指すことが多いから、ぼくはもともと目指す場所を間違えていたみたいだとあとになって気づきました笑)

 

理由②安定に疑問を覚えた

asmuSe / Pixabay

そして2つ目の理由は、先輩や上司が進んだレールがすごくサビついていたこと。ぼくが歩もうとしているレールが今にも壊れそうなくらい脆く見えたんです。

これは日本の景気とか経済の話です。

単純に、

「今、50代の部長級とか課長級の職員さんて若い頃にバブルを経験していて、今よりも断然給料も待遇も良くて、ボーナスを年に3回もらえてた世代で、ぼくの少し上の30代の先輩たちはもうすでにそんなにもらってなくて、共働きが普通で、

じゃあ、ぼくの世代はゆくゆくどうなるの!?」

なんて考えちゃったんですよね。

しかも、以前から少子化は明らかに進んでいて、今後も子どもがガンガン減っていく予想はされていて、公立の保育園は民間委託されたり規模縮小で合併したりする可能性が大いにありました。

それはつまりぼくの働く場所がなくなるってことで、見過ごせない問題でした。(実際にぼくが退職してから働いていた保育園の民間委託が決定し、数年後には公立の保育園が半分になるそうです。)

 

しかもさらに問題なのが、少子化の影響による日本の人口減少です。この記事でも書きましたが、

日本の未来
【日本の未来は暗い??】子どもたちがこれから巻き込まれることを知っておこう。

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「このまま人口減少が進むと2040年(22年後)には全国の自治体(市町村)の半分が消滅する可能性が高い」

地方の若者の都会への流出、高齢化、産業の衰退などが理由で、2040年時点で人口が1万人を切る自治体が523ヶ所になるという予想があるんです。

ぼくが働いていたのはそんなに大きくない街だったので、つまり、20年数年後にぼくの勤めている自治体がなくなる可能性もあるわけです。会社でいえば倒産か吸収合併です。

「その頃ぼく50代。働き盛りだな、このままいけば主任か園長にはなっているだろうか。しかし保育園がなくなり、自治体が無くなってしまったら、はっ!!ホームレス園長ッ!!??

みたいに考えてしまったんですよね当時のぼくは(笑)

 

理由③先例主義・ことなかれ主義に嫌気がさした

MichaelGaida / Pixabay

そして3つ目が先例主義ことなかれ主義です。

これは保育業界がそうなのか、公務員という環境がそうなのか、日本のお国柄なのか、当時はよく分かっていなかったんですが、何かを考える時の基本が

「新しいことに挑戦するより、失敗しないこと
「周りが不安視することやって波風立てるより、何事もないのが一番

みたいな考え方がすごく深く根を張っていたんですよね。

もちろん、それはすごく大切なことだというのも知りました。前例があることやある意味でのテンプレート(型)があることは、改善改良を重ねてより良いものにしていくためには必要なことだとも思いました。

 

でも、時代が変化しているのに、過去と同じことを「今までこうやってきたから」と頑なに繰り返し続けることに意味があるのかという疑問が日々大きくなってしまったんですよね。

だって例えば今の時代に、
保育園に登園する時に竹かごの乳母車に乗って登園してくる子どもなんていないし、家に固定電話がない家庭だって普通だし、保護者の働き方や時間の使い方も変わっているし。

 

そうやって環境が変化しているのに、「たいへんな時代になったねぇ」「息苦しい世の中になったなぁ」って変化しようとしないから、どんどん大変になるのは当たり前だと思ったんですよ。

自分を変化させようとしない人たちって、周りが車に乗って移動してる時代に、「うちの馬が」とか「籠が来なくて」とか言ってるのと同じですからね。そりゃその人からしたら息苦しい世の中ですよね。

 

時代に合わせた変化をしていかないとどんどん苦しくなるし、時代遅れのものって不必要になっていくものだから。そう考えた時に、今いるこの「先例主義・ことなかれ主義」が根付いている環境から一度離れてみる必要があるなと思いました。

理由④仕事が楽しかったから

EME / Pixabay

とまぁ公務員という立場に対していろいろとネガティブな考えを巡らしていた当時のぼくなんですが、保育士の仕事は本当に楽しくて当時から「天職だ」と思っていました。

子どもたちが言うことやることは面白いことばっかりで楽しいし、子どもと関わりながら間近で成長を見守ることができて、しかもぼくは子どもと楽しく過ごしているだけなのに親御さんからは「いつもありがとうございます」「うちの子、本当に保育園が楽しいっていつも言ってるんです」って感謝までされて。

 

素敵な仕事過ぎる!!っていつも思っていました。

学生の頃に周りの大人から言われていた「働くって大変なことばっかりだぞ」「仕事ってつらいんだぞ」みたいな言葉は当てはまらず、そういうことを言う大人はきっと楽しくないことを仕事にしているんだなと思うようになりました。

ぼくはたまたま最初に就いた仕事が、自分の性分に合うめちゃくちゃ楽しい職業だったので、ラッキーなのかもしれません。

でもじゃあ、なんでその保育士の仕事(公務員)を辞めて海外に行ったのか。

1つは理由①〜③に書いた「公務員に対する疑問や不安」があったからです。

そしてもう1 つが次の理由⑤です。

 

理由⑤希少性を高めようと思った

公務員を辞める話や海外に行く話した時にいろんな人に聞かれた質問が、「保育士は楽しんでしょ?じゃあなんで辞めたの!?」でした。

ぼくが考えていたことはこうです。

保育士になって同じ保育園で10年働く人は多いし、すごいことだと思います。継続することで経験も積めるし、給料も上がります。日本ではまだまだ「同じ会社で長く働いている人」のほうが「転職を繰り返している人」よりも評価が高いのも知っていました。

特に公務員という環境は結婚や産休や育休を取りやすいので、勤続年数10年以上が普通で当たり前。

だから、その環境の中で先輩や上司と同じレールを進み続けても、先輩や上司と似たような人間になっていくんだろうなと思いました。

これは良い悪いという意味ではなくて、単純にぼくにとってはそれは「面白みがない」ということでした。

人生1回きりの中で人間が経験できることは限られています。ぼくは当時から、20〜30歳までの10年間て本当に大事な10年間だと思っていました。

 

「今ぼくがいる公務員という環境はほとんどの人が20代の10年間を同じ環境で過ごす。ということはぼくがここで10年間過ごさなくても、『同じ環境で10年働く』という経験は誰かがしてくれる。

と、いうことは、ぼくは20代の残りの7年間を多くの人があまり進まない道を進んで経験することで、30代以降になった時、

『あまり人が経験してないことを経験したぼく』『同じ環境で10年経験を積んだ人』の知恵をうまく生かしあって保育をしたら、より良い保育ができるんじゃないか!

とこういう結論に至ったわけですよね。

つまり、自分の希少性を高めようと思ったんです。レアカードになろうとしたんです。その方が絶対に価値が高いから。ハリウッド俳優が映画で着た衣装とか大昔の骨董品とかが高額なのは希少性が高いからですよね。

ぼくも保育士としてのそれを目指そうとしました。

日本で保育士資格を持っている人は120万人、その中で男性保育士の数って3%くらいだから3万6,000人くらいで、その中で公務員を経験している男性保育士はさらに少なくて、その中でさらにオーストラリアの保育園で働いたことのある保育士はもっと少なくて、、、、みたいにして20代は「経験」を第一優先にして過ごそうと決めました。

そしてそこで得られる経験や知恵は、絶対にぼくの人生の財産になると確信していたんです。

 

 


というわけで長くなってしまいましたが、この5つがぼくが公務員を辞めた理由です。

もっと簡潔にまとめようとしたのですが、省けるところが少なくてどうしてもこのボリュームになってしまいました。笑

さて、あとは気になるのが「辞めて実際どうだったの!?」だと思います。以下にまとめましたので、もう少しお付き合いください。

 

辞めた結果どうなったか

この記事を書いている今日12月23日(ちなみにぼくの29歳の誕生日です。照)

もうすぐ2018年が終わります。来年(2019年)の春で公務員を辞めてから5年経ちます。

 

この5年の間もなんだかんだ自分を分析しているのですが、ぼくの20代前半というのは結局のところ、

「お金持ちになりたかった」
「自由になりたかった」
「自分が分からなかった」

たぶんこれなんですよね。

先ほどの5つの理由ももちろん嘘ではないのですが、その大元まで掘り下げてみるとここにたどり着きました。

 

もっと分かりやすく一言で言えば、幸せになりたかったんですよね。

 

だから海外に行っていた24歳~26歳の2年間は自分にとっての幸せを探す旅をしていた、みたいな感じです。みんなあんまり「幸せを探す旅」ってしないじゃないですか。でもぼくはしたかったんですよね。人生1回きりだし。

RitaE / Pixabay

で、結論から言うと、ぼくは間違っていました。

あ、公務員を辞めたことがじゃなくて「お金持ちになったら幸せになれる」「働くことから解放されたら幸せになれる」と思っていたことがです。

 

幸せになりたいという人は多いですが、今ぼくは、「幸せってなるものじゃなくて、気づくものなんだな」と思っています。

毎日ご飯を食べることができて、好きな時にトイレにも行けて温水の出るシャワーも毎日できるし、夜は知らない人と同じ部屋で寝なくてもいいし、大切な人たちと気軽に連絡を取れて会うこともできるし。

手足もちゃんと動くから自分の好きなところに行けるし、職場に行けば子どもたちの笑い声がある。

めちゃくちゃ幸せなことです。22歳の頃のぼくはこーゆうことがまったく視界に入ってなかったんですよね。

いつも目の前にあったのに、見えてなかったというか見ようともしていなかったというか。

 

こーゆうことがありがたいことなんだと思えるようになった時、「あ、これが幸せなんだ」と気づきました。

 

つまり、ぼくは今、とても幸せなんです。

公務員を辞めた結果、ぼくは幸せになりました!という今回の話のオチです。笑

 

これから進む道は?

Free-Photos / Pixabay

しかし、話はここで終わりじゃないんです。

「ある男性保育士が公務員を辞めて海外に行ったら幸せになって帰って来ましたとさ、おしまい」じゃ自己満足だけになってしまいます。それは違う。

 

ぼくは公務員を辞めたことで幸せの存在に気づくことはできましたが、現状に満足しているわけではありません。

自分だけが「あぁ幸せ~毎日楽しいなぁ~」なんて日々もしばらくあったんですが、そんな日々は長く続きませんでした(笑)

もともとの性分もあってか、ぼくは昔から「人が喜んでいる姿を見るのが好き」だったり「誰かの役に立つことに喜びを感じる」タイプです。だから、ぜひとも誰かの役に立つ人間になっていきたい。存在が喜ばれる人間になっていきたいわけです。

 

でも今のぼくは、ぼくが理想とするほど自分以外の誰かのために役に立つ人間にはなれていません。自分の幸せには気づいたけど、まだまだ自己満足で終わっています。

だからぼくは「困っている人が自分の幸せに気づくためのお手伝いができる人間」になろうと思っています。特に子どもと子育て中のママさん!!ちなみに、このブログもそのために存在しています。

この先、どんな仕事をして、どんな人と出会い、どんな活動をしていくかをいろいろ考えながら、今ぼくができることにしっかりフォーカスして日々を過ごしていきます!!

Pexels / Pixabay

公務員は「安定」の仕事だと言われています。公務員として内定をもらい正職員になったらクビになることはないし、給料も安定していて一生安泰だと。

でも、「安定」ってそういうことでしょうか。今の時代、公務員になることは他の職業に比べて「安心」ではあるかもしれません。しかし、「安心」と「安定」は違います。

「安定」というのは回り続けるコマのような状態です。コマは1本しか軸がありませんが、周り続けることで安定します。コマの1本の軸を1人の人間の自立と考えてみれば、人も動き続けることで安定することができると思います。止まったらダメなんです。

地球や太陽のことが書いてある天文学の本を読んでも、
ニュートリノや光子のことが書いていある量子力学の本を読んでも、
内容はぼくにはちんぷんかんぷんですが、この世に止まっているものなんて何一つないことだけは分かります。

だから人間も動き続けることをやめてはいけない。

それが唯一の安定する方法だと思います。

 


もし、「自分がどう動けばいいか分からない」のであればまずは、「どんな動き方があるのか」を知るために情報収拾をしたらいいと思います。その行動も立派な行動ですからね。

ぼくも最初はそこから始まりました。

そして形は変われど、これからも「自分がしてみたい行動」を愚直に続けていこうと思っています。

 

 

というわけで、今回の話はここで終わりになります。最後まで読んでくださってありがとうございました。

※この話は公務員という存在を否定しているわけではないので誤解なさらぬようお願いします。ぼくには合わなかったというだけで、公務員として立派な仕事をしている方はぼくの周りにもたくさんいます。

 

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