今回はトラウマの話です。
トラウマという「心の傷」は、個人の捉え方によって大きかったり小さかったりするわけですが、何かしらの傷を負っているという点ではその大小に関わらず同様の苦しみを抱えているのではないでしょうか。
さて、そんなトラウマについての内容ですが、今回の話は少し刺激が強いかもしれません。
なのでオススメとしては「異国の地で大人気の激辛スパイスをちょっと味見してみる」くらいの感覚で読み進めるのが良いかなと思います。
なぜなら今回の話では「トラウマ」の存在を否定するからです。
紹介するのは、心理学者アルフレッド・アドラー の考え方です。
彼は「トラウマ」を否定しています。
トラウマとは
トラウマを調べると
大きな精神的ショックや恐怖が原因で起きる心の傷。精神的外傷。
といった表現が見つかります。
おおざっぱに言うと、「過去に◯◯があったから自分は今××ができない」というように、過去の出来事が理由で現在に影響を及ぼしていることを表します。
例:「子どもの頃勉強しなかったから今も勉強が苦手」「学生の頃に盛大にフラれてそれ以降恋愛が怖い」など
劣等的な意味で使われる場合が多いと思います。
「過去の経験」にどんな意味を与えるかの違い
アドラーは、その人が抱えている問題について、その人が過去にした◯◯という経験自体が原因で現在そうなってしまったとは考えず、
その人が過去にした◯◯という経験に対して与えた意味によって現在そうなっている、と考えました。
例:「子どもの頃に勉強が嫌いだったから今勉強ができない」と言う人は、「子どもの頃に勉強が嫌いだった」という事実に対して、[あの頃のせいで今もできない]という意味付けをして、自分は今も勉強ができないと決め付けている」と考えます。
過去の経験に対してどんな意味を与えるかが今回の話の重要なポイントになります。
大きな違いは、「過去に起こったことが原因で今◯◯ができない」と考える「原因論」と、
「今◯◯したくないという目的があるからその言い訳として過去に起こったことを引っ張り出している」と考える「目的論」の違いです。
原因論
トラウマというのは、「原因論(過去に◯◯だったから今××できない)」の代表的な考え方です。
しかし、この考え方では自分をより良い方向へ変えていくのは難しいと思いませんか?
なぜなら、今のあなたが"苦手なこと"や"できないこと"が、過去に起こった出来事自体が原因になっているとすると、過去の出来事自体を変えなければいけません。しかし、過去の出来事を変えられる人間なんてこの世に存在しません。
つまり、原因論のままでは過去の(失敗したことや嫌な思い出といった)出来事に縛られたまま一生を終えることになります。
それは悲しいし、希望もなく、気分も上向きません。だからアドラーも「トラウマ(原因論)」を否定しています。
目的論
もう一方は「目的論」という考え方です。
目的論では、今の状態に対して、どんな「目的」があるのかを考えます。
例えば、子どもが引きこもっている場合に、「過去にクラスメイトからひどいことを言われたからと部屋から出られない」(原因論)と考えるのではなく、「今、誰かに傷つけられたくない(という目的がある)から部屋から出たくない」(目的論)と考えます。
つまり、まず最初に目的があって、その目的を達成するために都合の良い理由(多くは過去の出来事)をあとから探してきたと考えます。
これを聞くと、「今、誰かに傷つけられたくない」と思うようになったのは過去の出来事が原因なんじゃないの?ほらやっぱりトラウマじゃん、と思うかもしれません。ぼくも最初はそう思いました。
しかしそれは違うようです。アドラーいわく、
確かに「過去にクラスメイトからひどいことを言われたこと」は1つのキッカケにはなったかもしれませんが、それはキッカケであって、その後も体にくくり付けて「重り」として引きずり続ける必要があるほどのものでしょうか?
ということのようです。なんだか嫌味な言い方に聞こえますね。
例えを変えると、
外で遊んでいた時、指に何かのトゲがチクッと刺さったとしたら、一瞬「痛っ!」って思いますよね。
原因論で考える人は、その時に「もう外で遊びたくない。だってトゲが刺さるような危ない場所だから」「ほら見てよコレ!」といって指に刺さったトゲを抜くことをせずにずっと刺さったままの状態にしている人です。
目的論で考える人は指に刺さったトゲはすぐに抜いて「次は刺さらないように気をつけよう」と思う人です。
たいていの人は指に刺さったトゲならすぐに抜くのですが、心に刺さったトゲはなぜか抜きません。
もちろん心に刺さっているのがトゲなのか縫い針なのかナイフなのか、大小によって痛みの違いはあると思います。ただトゲでも針でもナイフでも、刺さっているのであれば抜こうとしてみても良いのではないでしょうか。
目的論の良いところ
目的論の良いところは、希望があるということです。
さきほどのトラウマ(原因論)の考え方では、すでに起こってしまったことが原因だと考えるので、その出来事にずっと縛られることになります。
しかし、目的論は、その目的が変われば過去の出来事への理由付けも変わってきます。
「子どもの頃に勉強しなかった」という過去の出来事ひとつとっても、もし今の目的が「新しい経験がしたい!」であれば、「子どもの頃に勉強しなかったからこそ、今たくさんのことを吸収できる」と捉えることもできます。
過去に縛られる必要はない
つまり、これまでの人生でどんなことが起こっていたとしても、それはただの「過去の出来事A」というだけで、それ以上でもそれ以下でもなく、今日をどう生きるかに対してなんの影響力もないはずなんです。
重要なのは、今の自分がどんな目的を持っているか、です。
例えば昔「学校の先生から毎日のように嫌なことを言われた」という過去の出来事は、今あなたが「上司と関わるのが苦手」と思っているのか、それとも「もっと上司と上手く関わりたい」と思っているのかで、意味が変わります。
「私は上司とあんまり上手く関われない」
→「だって昔学校の先生から毎日のように嫌なこと言われたから。目上の人、苦手。」=原因論。
「私はもっと上司と上手く関わりたい」
→「昔学校の先生から毎日のように嫌なことを言われたからこそ、上司と良い関係を築きたい。」=目的論
といった感じです。変わったのは過去の出来事への「意味付け」です。
一歩踏み出す「勇気」が重要になる
この記事の最初に、
今回の話は少し刺激が強いかもしれません。
なのでオススメとしては「異国の地で大人気の激辛スパイスをちょっと味見してみる」くらいの感覚で読み進めるのが良いかなと思います。
と書きました。その理由はなんとなくお分かり頂けたでしょうか。
今回紹介した「原因論」と「目的論」はある意味で真逆の考え方をします。
つまり、今までトラウマのことを信じてきた人にとって、トラウマから開放されて「目的論」を信じるためには大きな変化が求められます。
おそらく、今までにもトラウマから脱しようといろいろな苦労があったと思います。
「自分を変化させる」というのは、(一部分とはいえ)今までの自分ではなくなるということなので、不安が生まれます。
「変化したら周りの人はどう思うだろうか」「今よりもっと悪くなったらどうしよう」と思ってしまいます。そして、人間はその「不安」に対してすごく弱い生き物です。
だから変わることで襲ってくる「不安」よりは、変わらないことでつきまとう「不満」を持ってたほうがまだいいと思ってしまいがちです。
職場でたくさん愚痴や文句を言うのにも関わらず、退職や転職をしようとしない人が良い例で、多くの人は、変化(転職)することで生まれる「不安」より、変化しないことで続く「不満」を選びがちです。
さいごに
今回は、トラウマについて心理学者アルフレッド・アドラーの考え方を紹介しました。
ぼく自身、この考え方に触れたとき、大きなハンマーで頭を殴られたような衝撃を受けました。
と同時に、最初は全くもって実践できず、何度も何度も関連する本を読みました。
今まで当然だと思っていたことを変えるのってとても大変です。しかも、その変化が良い方向に変わるかどうか分からなければ挑戦する勇気すらなかなか湧いてきません。
しかし、アドラーの「目的論」は、実践してみることでトラウマという苦しみから解放されて気持ちが楽になるという効用があります。
過去の出来事に苦しんでいる人、現状に不満があり、変化を起こしたい人はぜひアドラー心理学に触れてみてください。
読みやすいオススメの本は、ベストセラーの『嫌われる勇気』です。対話式の内容なので、ドラマのようなストーリーで読みやすいですよ。
最後まで読んでくださってありがとうございました。