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オーストラリアのど田舎で人生のどん底にいた保育士のぼくが感じたこと

かんかん

ぼくは保育士です。
大学を卒業し、2年間公務員として保育園で働きました。そしてある理由から公務員を辞めて、オーストラリアで生活を始めました。その時に、しきりに考えていたことがあります。

それは何かというと、

当時24歳のぼくは、「自分の人生、この先どうなっていくんだろう」「将来のことが分からなさ過ぎる」とひたすら考えていたんです。

2014年の8月、ぼくはオーストラリアのカナナラというど田舎の小さな街にいました。全財産は13,000円。なのに、仕事はなく、家族も友だちはもちろん知り合いは1人もいない街で、数日後に迫った家賃の支払いもできない状態。食事は1日りんご1個、メントス1本で過ごした日もあります(笑)

もちろん日本へ帰る飛行機代すら無いです。

その時期に毎日思っていたことは「あっちゃー、人生ミスったかこれ?」でした(笑)

そんな、自分の中ではこれ以上ないくらい極限の状態でぼくが考えていたことが、
「自分の人生、この先どうなっていくんだろう」
「将来のことが分からなさ過ぎる」

でした。

この記事では、その時期にぼくが感じたことを書きました。

暗闇の中で

Skitterphoto / Pixabay

未来が分からない、先が見えないことについていろいろ考えていく中で、自分なりにすごくわかりやすい表現が見つかりました。

それは暗闇です。

自分が真っ暗闇にいるという状態を想像するんです。光もない、音もない、匂いもない、ただの暗闇。

実際に、当時のぼくの心境はまさにそんな感じでした。

誰もが1度は経験あることだと思いますが、自分の部屋で深夜に目が覚めてしまった時に、知っている場所のはずなのに「真っ暗」というだけでなんだか不安になることがあります。

そんな時、怖いながらにちょっと勇気を出して照明のスイッチのところまで行くと、あっという間に部屋が明るくなって、「ふぅ、なんだ知ってる部屋か」とひと安心できたりします。

ぼくがオーストラリアで探していたのも、その「灯り(あかり)」だったんです。

「未来が分からない」「先が見えない」というのは暗闇と同じです。

でもよくよく考えてみれば、世界中探しても未来がはっきり分かっている人や先がしっかり見えている人なんて一人もいないはず。ということは、みんな未来は分からないし、先が見えないという満たされない思いを抱えているということ。

当時のぼくもそうでした。強いて言えば、その暗闇が一段と濃い時期だった。

心の中に「未来が分からない」という穴がポッカリと空いていました。

思い返せばいつも暗闇の中にいた

JoseGracia / Pixabay

そんなことを考えていたら、このポッカリ空いた穴って、ぼくが高校生だった時も、大学生だった時も、いつも空いていたということに気がつきました。

高校生の時は、「進路どうなるんだろう」「大学に合格できるかな」という満たされない思い。
大学生の時は、「就職先どうしよう」「ちゃんと就職できるだろうか」という満たされない思い。

そのどちらの穴も、大学合格が決まった時、就職先が決まった時にはすっかり埋まったのを覚えています。なのに少しするとまた何か未来のことで頭を悩ませているんですよね。

いつだって暗闇の中だった。

なんと言えばいいのか、それまでのぼくは暗闇の中で手にマッチを持っているのと同じ状態だったんです。

暗闇の中でマッチを1本つけると、自分の周りが少しだけ見えるようになるから安心した気になります。深夜に起きて部屋の電気にひと安心するのに似た感覚です。

でも、マッチの寿命は短い。

あっという間に消えてしまいます。そしたらまた暗闇に逆戻り。怖い怖いと思ってまた一生懸命マッチを擦るんだけど、、、と同じことの繰り返し。

「マッチが消えては擦って、消えては擦ってを繰り返す」
そんな人生を高校生の頃からずっと生きてきたんだなぁということにオーストラリアのど田舎で気がつきました。

2つの灯りが必要

Designer-Obst / Pixabay

さらに考え続けたら、そんな暗闇を上手く生き抜く解決策も浮かんできました。

ぼくが思いついた解決策は2つ。

手元のランプ

1つは、手元にランプを持つことです。

LEDほど明るくなくてもいいけど、自分の周りがぼんやり見えるくらいの明るさがあるランプがあれば、段差につまずくことはないし、穴があっても避けられる。

何かしようと思ったら手元はちゃんと見える。そんな明るさでずっと光り続けるランプを持つことです。

マッチのようにすぐに消えてしまう光ではなく、ずっと照らし続けることができるランプ。

言い換えると、今までの自分の経験やから学んだ知恵やスキル、趣味、周りにいる人たちなど、
自分の支えになっている存在が全て自分にとってのランプになります。つまり自分が持っている自信のことです。

そう考えると、自分はすでにランプを持っていることに気づくと同時に、この先どんなランプを持ちたいかを考えるきっかけになりました。

遠くに輝く光

もう1つは、遠くに光る目印があることです。

360度見渡しても先が全て真っ暗だったらどっちに進めばいいかわかりません。砂漠で迷子になるのはどこまで歩いても砂しかないからです。

でも砂漠を見渡してみて、遠くの方に米粒くらいに小さく見えるオアシスが見えればその方に向かって歩けばいいと分かります。

それと同じで、未来が分からず先が見えないぼくらにも、遠くで光る一点の光があれば、どのくらい距離があるかは分からないけれど真っ暗闇を進み続けるよりは何倍もマシだと思います。


自分の周りを照らすランプと遠くに光る星のような目印の2つを持つこと。

これが「先が見えない」という暗闇を進んでいくために必要なんじゃないかと思ったんです。

今では、自分が目指す方向を「人生のコンパス」と呼ぶようになり、とても大切にしています。

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穴を何で塞ぐか

Myriams-Fotos / Pixabay

話はもう少し続きます。

その後もいろいろと考えていて、「将来が分からない」という状態は心にポッカリ穴が空いた状態とも言えることに気がつきました。ポッカリ空いた穴に何を入れるかで、その後の「人生」や「人となり」が大きく変わってしまうんじゃないかと考えるようになったのです。

「将来が分からない」という穴が心にポッカリ空いた時、
「不安」という気持ちをその穴に入れて塞ぐこともできるし、「希望」という気持ちを入れて塞ぐこともできるということです。

「不安」を選んだ人は「未来は悪くなる」と考えた人で、「希望」を選んだ人は「未来は良くなる」と考えた人です。

「不安」で穴を塞いだ人は現状を維持するために「安定」を求めるようになり、「希望」で塞いだ人は自分を信じて「挑戦」を選ぶようになると思います。

そしてさらに言うと、不安をもとに「安定」を求めた人は、もし手に入らなかった時には人のせいにできてしまいます。あの人が悪い、会社が悪い、社会が悪い、時代が悪いって。それは他者に依存して安定しようとするから起きることだと思います。

しかし希望をもとに「挑戦」を選んだ場合、失敗しても人のせいにはできません。だって自分で選んだことですから。どこまで行っても責任は自分の側にあります。

何かの本に書いてありました。

「自分のすることやしたことの責任を自分でとれる人、つまり選択と責任が自分に由(よ)る人『自由な人』なんだ」

って。自分の責任で行動する人が自由を手に入れることができるってことです。

そこまで考えた時に、
「ぼくは自分の意志でオーストラリアに来た」「お金も仕事もなく心細い現状は自分で招いた状況だ」と素直に思うことができました。

そうすると、「自分はどうなりたいのか」「この状況は自分の選択で変えられる」と考えるようになり、
その時から、それまで「不安」で塞いでいた心の穴を「希望」で塞ぐようになりました。

ぼくが「未来が分からない」「先が見えない」という暗闇を進むためには、手元を照らすランプ遠くに光る目印が必要だということにその時に気がついたんです。その2つを持つことで、心にポッカリ空いた穴が希望で塞ぐことができる、と。

さいごに

今回はオーストラリア時代のことをふと思い出しつらつら書いてみました。

改めて思い返しても「あの時は大変だったな」と思いますが、「でも良い経験になった」という思いもあります。

人生の考え方にはいろいろあると思います。その中で「こういう考え方もあるよ」という考え方の1つの例として思ってもらえれば嬉しいです。

stealth_sly / Pixabay

ぼくたちの人生は、生まれてから大人になってからもずっと、荒れ狂う大海原を必死に泳いでるようなものではないでしょうか。

周りを見渡しても見えるのは大空と水だけ。たまに流れてくる丸太や発泡スチロールにつかまって休憩を繰り返しながら必死に泳いでいます。

でも、毎日毎日必死に泳ぐぼくらは、いったいどこに向かっているのでしょうか??

残念なことに、生まれて大人になるまで、泳ぎ方を一生懸命教えてくれるコーチはいっぱい現れますが、「どこに向かって泳げばいいのか」という目的地を教えてくれるコーチがすごく少ないように思います。

お金の稼ぎ方、人間関係の築き方、健康法、これ全部どうやって泳ぐのかという「方法」です。でもぼくたちに必要なのは、どこに向かいたいのかという「目的」だと思います。

いくら上手に泳げても、大海原でがむしゃらな方向に泳いでいてはいつか力尽きてしまいます。

何年もかけて1つの方向に泳いだあげく、着いた島が本当に目指したかった島とは違うだということもあるかもしれません。

暗闇の中で目指す光がなければ、どっちに向かえばいいのかわからないという不安に押しつぶされてしまうかもしれないのです。


人生の目的地というのは最終的には人に決めてもらうものではなく、自分で決めなきゃいけないものです。しかし、子どもたちには目的地を一緒に考える大人が近くにいてもいいのかなと思います。

ぼく自身は、子どもたちには「自分が目指す光(人生のコンパス)」をなるべく早い段階で見つけて欲しいと思っています。そして、ぼくはできるだけその手助けをする人になりたいです。

なぜなら、ぼくがオーストラリアでの生活を通して見つけた「目指す光」は、「子どもとその親に喜ばれる存在になること」だったから。

子育て中の親御さんと子どもたちの笑顔が溢れている社会、それがぼくの目指す光です。
ちなみにこのブログ「アイコトバ」もその思いが出発点になっています。

先が見えない暗闇の中、あなたはどんなランプを手に持ち、どんな光を目指しますか??

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