この記事は、
保育士のぼく(@kazukirin1989)が26歳の時に、合計60日間(2016年2月〜4月)でアジアの国を中心に10ヶ国1人で旅した記録です。
せっかくなので旅行記っぽく書いていきます。
体調は良し!!
今いるのはインド東部の街コルカタ。
コルカタに来たのはマザーハウスでボランティアをするため。
2日間しかないコルカタ滞在なのに、昨日はインド滞在中ずっと悩まされている腹痛とゲリのせいでボランティアは断念。
だから今日はなんとしても参加したい。
たった1日になっちゃうけど、それでも参加したい。
そのためにコルカタに来たのだから。
インド最終日の朝、体調は上々。
「これならいける!」
そう判断して、マザーハウスへと向かうことにした。
マザーテレサ
マザーテレサは生前、コルカタのマザーハウスに「自分も手伝わせてください」とボランティアしにやって来る外国人によく言っていたそうです。
「あなたがわざわざコルカタに来なくても、あなたの目の前にもコルカタはある。
あなたの国のあなたの目の前にあるコルカタを助けてあげてください。」
と。
すごく納得できる言葉。まさにその通り。
日本国内に目を向ければ、取り組まなければいけない問題が山ほどある。
でもぼくは一度自分の目で見てみたかった。
マザーテレサが遺した思いを、雰囲気を、匂いを、色を、自分のこの目で。
ぼくがこれから生きて行く上でのひとつの参考として。
ほんとは1週間〜2週間くらい関われると良いのだが、今回はたった1日だけということになるが、やっぱり「ゼロ」と「イチ」の差はなによりも大きい。
集合と朝食
マザーハウスでボランティアをする人は朝7時にマザーハウスへと集まり、そこで朝食を頂くことができる。
食パン•バナナ•チャイのみの簡単な朝食だ。
食パンはジャムもバターもなにも無しで、ただの食パンだった。
ボランティアの人たちに無料で振る舞われている物なので贅沢は言えない。
マザーハウスでは、日によってボランティアの数もバラバラだそうですが、ぼくが行った日は30〜40人ほどのボランティアの人がいた。
国籍ははっきりわかりませんが、ヨーロピアンやアメリカンが多かったように思う。
日本人、中国人、台湾人、韓国人もチラホラいた。
意外だったのが年齢層だ。
ぼくはてっきり20代の若者ばかりだろうと思っていたのだが、実際には小学生くらいの子どものいる家族連れから50代60代の人まで幅広い年齢の人がいた。
世界中からいろんな年齢の人が集まっているみたい。
マザーハウスはキリスト教の施設であるため、世界中のキリスト教徒が訪れるのだそうだ。
マザーテレサが言った「わざわざコルカタに来る必要はない」という言葉ももちろんあるけれど、それでもやっぱりボランティアに来ている子どもにとってはすごく良い経験になるとぼくは思う。
7時30分になるとシスターがベルをならし、全員でお祈りをし、聖歌(かどうかわかりませんが歌)を歌います。
その後、グループに分かれてそれぞれの施設に移動することになる。
本来、マザーハウスでボランティアをする場合は事前に登録会(月•水•金の15:00〜)に参加しなければいけないのだが、
登録会に行っていなくても当日パスポート(コピー•写真も可)を持っていけばボランティアには参加することができる。
ぼくは登録会には行けなかったため、当日の飛び込み参加となった。
施設の種類
マザーハウスには複数の施設があり、ボランティア先はマザーハウスにいるシスターによって振り分けられる。
●Nirmal Hriday(死を待つ人の家)
→重度の障害を持った人の施設
●Daya Dan(障害児の家)
→障害を持った子どもたちの施設
●Shishu Bhavan(孤児の家)
→赤ん坊から10歳未満の子どもの施設。女性ボランティア限定。
●Nobo Jiban(マザーハウスのブラザーの家)
→障害を持った男性の施設。男性の長期ボランティア限定。
●Shanti Dan(女性薄弱者の家)
→精神障害を持った女性及び子どもたちの施設。女性ボランティア限定。
●Prem Dan(障害者の家)
→軽度の障害を持つ大人たちの施設。
これらの施設の中からボランティア先が決まる。
どの施設に行きたいかというある程度の希望はシスターも汲みしてくれるようなので、伝えるといい。
ぼくの場合は「子どもの施設(Daya Dan)に行きたい」ということは伝えたのだが、シスターの決定は「Prem Dan(軽度障害を持つ大人たちの施設)」だった。
本当は子どものいる施設が良かったが、こればかりは仕方がない。
マザーハウスでボランティアができることには変わりないのだから、気持ちを切り替えて施設へと向かった。
あとで聞いたところ、Daya Dan(子どもの施設)は基本的に女性しか行けないそうだ。施設側の決定ならしょうがない。
施設に向かう途中でインドを見る
どのボランティア施設も、朝に集合するマザーハウスの近隣にはなく、バスや電車を使って移動することになる。
ぼくのボランティア先となったPrem Dan(プレムダン)へは徒歩で向かったのだが、それでも30分以上歩いた。
徒歩でコルカタのローカルな地域を歩いたので、遠目ながら地元の人の生活を少し見ることができた。
気温35℃を越える中、生肉が常温で(その場でさばかれて)、しかもほぼ地面で売られている光景は現代の日本では見ることができないだろう。周囲の匂いも含めて、ぼくはこれには慣れることができなかった。
途中、線路沿いに集落があった。
子どもたちがいて、歩いていると「お金をくれ」「食べ物をくれ」とたくさん寄ってくる。
ぼくはこういう時「なにもあげない」という態度を取るようにしているので、いつも通り子どもたちとたわいない話をして通り過ぎようとしたのだけど、
一緒に歩いていた台湾人のボランティアの人がキャンディーをあげようとポケット入れるとその周りに一気に群がって我先にキャンディーをもらおうと必死に手を伸ばしていた。
日本は「知らない人から物をもらわないようにしましょう」という習慣があるけど、インドでは「知らない人から物もらいましょう」という習慣があるなと感じる。
国が違えば「常識」や「当たり前」だって真逆になる。アジアの国を訪れてみてそれを強く感じた。
ぼくは東南アジアでこういう子どもたちを見るたびにすごく複雑な気持ちになります。
それでもやっぱり、カメラを向けると笑顔になってくれる人もいて、「笑顔って世界共通だな」と感じる。
プレムダンでのボランティア
プレムダンは青色の塀に囲まれた思ったり大きな施設だった。
大きさでいうと、日本なら都市部にある学校の校舎と校庭を合わせたくらいの面積だと思う。
施設内にはいくつかの建物があり、女性入居者と男性入居者は施設内にあるフェンスによって分けられていた。
写真があるとわかりやすいのだが、マザーハウスの施設内は撮影が一切禁止されているため写真は1枚もない。
洗濯
ぼくが最初にした仕事は洗濯。
大きな洗濯槽が3つあり、石けんで洗われた衣服が運ばれてくるのでそれをゆすいで絞って次の洗濯槽に移す。1時間半ほど行った。
施設の入居者でも軽度の障害者の方は仕事を手伝っていて、
石けんを使って衣服の汚れをブラシでこする人、
洗濯槽まで運ぶ人、
洗濯槽ですぐ人、
絞った衣類をバケツに入れて運ぶ人、
干す人、
と分担されてそれぞれの仕事を進めていた。
インド人のボランティアもたくさんいた。
施設にいる人はヒンディー語しか話せない人がほとんどで、言葉でコミュニケーションを取るのはなかなか難しいのですが、それでもぼくが日本語で声をかけるとニュアンスは伝わるのか、ニッコリ笑ってくれる人がたくさんいて、その笑顔に癒さた。
ベッドメイキング
洗濯のあとは、居住施設内で昼寝用のマットレスにシーツをかける作業をした。
仕切りなどは一切ない広いスペースに約100個くらいの簡易ベッドが並んでいて、その上にマットレスが置いてある場所だ。
しかも、ベッドといっても横に柵などがあるわけでもないただのスチールの台である。救急隊が搬送者を運ぶストレッチャーみたいなイメージだ。
寝転ぶマットレスも厚さ3センチほどの、日本だったら「簡易座椅子」とでも呼ばれそうなものだった。
その部屋全体を見渡すと、さながら何かの戦争映画で見た「野戦病院」というイメージがぴったりだった。
爪切り
ベッドメイキングのあとは、入居者の爪切りをした。
シャープさのシャの字も感じられない切れ味の爪切りと、病院でガーゼ入れに使われるようなトレイを持って、座っている入居者の方の手と足の爪を切って次の人へと移動する。
爪を切りながらすごく感じたのは、入居者たちの体の細さ。
特に足の細さ。
「成人男性でこんなにも足が細くなるんだ」って切実に感じた。
冗談抜きでぼくの腕の方が太いなって方がたくさんいた。
休憩
一通り爪切りを終えたあとは休憩。
ボランティアには休憩時間があり、チャイとビスケットが振る舞われる。
時間は20分くらい。
他の国から来ているボランティアの人たちとコミュニケーションを取る良い機会。
なかには数ヶ月も滞在してボランティアをしている人もいた。
食事の配膳
休憩が終わったあとは、昼食の配膳と自分で食べられない人への食事介助を行った。
いくつかの大きな鍋で運ばれてきたのはご飯とカレーとオムレツ、そしてぶどう。
約100人分だそう。
洗濯の時と同じように、施設のスタッフ、ボランティアの人、仕事が手伝える入居者が列を作ってバケツリレーのようにどんどん盛りつける。
プレムダンに入居している人は、ほとんどが自分で食事をとることができるので、盛りつけた皿を手渡すと手を使って器用に食べていた。
ぼくは保育士だから子どもへ食事介助は自信あるのだが、大人へはあまり経験がなくてどうかなと思ったけど、要領は似ているからなんとかスムーズにできてひと安心。
やっぱり過去の経験は必ずどこかで活きる。
入居者の人たちの食事が終わったのを見計らって食器を回収して洗い場へと運ぶ。
全員の食器が片付け終わり、食事スペースの掃除を終えたところでボランティアは終了。
さいごに
今回、マザーハウスで朝8時から12時までの半日、ボランティアをしてみて得たものはたくさんあった。
建物の作り、入居者の様子や生活環境、スタッフの人たちの表情や仕事内容など。
ボランティアをしたのはたった4時間で、ぼくが見ることができたのはほんの一部だとは思うけど、それでもマザーハウスを自分の目で見ることができてすごく良かった。
気候も文化も習慣も宗教も言葉も、全部違う国だけど、ひとつ安心したのは「人と人との関わり」は日本もインドも同じだということ。
入居者の手を握って話を聞いてあげるだけですごくいい笑顔を見せてくれる、そんな風景は日本でもインドでも同じだった。
どこでどんな暮らしをしていても、人が根っこの部分で求めているものって世界共通で同じなんだろうなと、すごく感じた。
マザーテレサのマザーハウスの活動といえば世界的に有名だけど、日本の福祉の現場で働いている人だってやっていることは同じなはず。
施設の中にいるのは「援助を必要としている人」と「援助ができる人」。
それは日本もインドも、きっと世界中どこでも変わらないはず。
マザーテレサの言ったように「わざわざコルカタに来なくていい」のかもしれないけど、
それはきっと「日本人のあなたがコルカタで困っているインド人を支えなくても、日本にいる困っている人を助けてあげたら世界中が幸せになる」といった意味で言ったのだと思うから、
コルカタに行き、短期間でもいいからマザーテレサの遺した形を直接自分の目で見て刺激を受けるのはすごく大切だと思う。
インド滞在最終日、半日だけでしたがマザーハウスでボランティアをすることができてほんとに良い経験になりました。
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