人間関係

【気楽になる】悩みを無くすために必要な"承認欲求"の考え方を知っておこう

かんかん

今回は"承認欲求"について書こうと思います。

承認欲求について知ると人間関係がラクになり、子育てにおいても違った景色が見えてきます。

さらに承認欲求に対する新しい考え方を知ると、今まで「悩みだったこと」や「イライラの原因だったこと」が一気に消え去る可能性があります。

今はまだ、「え、どういう意味?」と思うかもしれません。モヤモヤをスッキリさせるためにも、ぜひ最後まで読んでみてください!

ちなみに今回の話は、アドラー心理学を参考にしています。記事を最後まで読んで「もっと詳しく知りたい」と思った方はベストセラー『嫌われる勇気』を読んでみてください♪♪

"承認欲求"と"貢献感"

"承認欲求"という言葉はどこかで聞いたことがあると思います。

"承認欲求"とは「誰かに認めてもらいたい!」「人に褒めてもらいたい!といった欲求です。

これは人間誰しもが持っていると言われていますが一般的には、「承認欲求が強い人」と聞くとネガティブなイメージにつながります。

 

では"貢献感"という言葉を聞いたことがあるでしょうか?

"貢献"とは「誰かのために役に立つこと」ですので、"貢献感"とは「誰かのために役に立っていると思うこと」になります。

「貢献感」という言葉はあまり馴染みがないかもしれません。

 

"承認欲求"と"貢献感"の共通点

Pexels / Pixabay

承認欲求と貢献感には共通点があります。

それは、どちらもその気持ちを得る(または満たす)ために「人に何かをすること」であるということです。

「人の役に立とうとする」ことが共通点になります。

 

承認欲求は誰かに認めてもらおうと思って人の役に立とうとします。

貢献感は誰かのために貢献しようと思って人の役に立とうとします。

どちらも人のために何かをしようとすることなので一見すると同じに見えますが、実は全然違います。

 

どこが違うかというと、一方は評価の判断基準が外側にあり、もう一方は評価の判断基準が内側にあるところです。

つまり、承認欲求は他人からされる評価が基準になり、貢献感は自分でする評価が基準になります。

 

承認欲求の場合

一般的に承認欲求が満たされる時というのは、こんな↓状況が多いと思います。

誰かに何かをしてあげた
→相手に「ありがとう」と言ってもらった。
→嬉しい。

誰かの役に立つことをしてあげた
→相手に「すごいね!」と言ってもらった。
→心が満たされた。

といったように、承認欲求が満たされるか満たされないかは相手が「お礼」や「褒め言葉」を言ってくれるかどうかに関わっています。

誰かに何かをしてあげてもお礼も何も言われなかったら、その時は承認欲求が満たされないことになります。満たされないどころか、逆に「お礼も言わないで失礼な人ね」と嫌悪感を抱いてしまう場合もあります。

 

子育ても同じです。例えば、承認欲求を持っている子どもが、お母さんのお手伝いをしたのにお母さんから「ありがとう、またお願いね」と言ってもらえなかったら、その子は承認欲求が満たされないことになります。

ここで重要なのは、承認欲求は、満たされるかどうかの決定権が相手の側にあるということです。

相手が褒めてくれなければ満たされないのが承認欲求なんです。

もう1つ例をあげるとしたら、

奥さんが毎日家事をしているのに、旦那さんはそれを当たり前だと思っていて「ありがとう」と言ってくれない。

この状況で奥さんが承認欲求を持っていたら、「認めて欲しいのに認めてもらえない。」「褒めて欲しいのに褒めてもらえない」とイライラしてしまい、夫婦関係がギクシャクしてしまうかもしれません。

貢献感の場合

奥さんが毎日家事をしているのに、旦那さんはそれを当たり前だと思っていて「ありがとう」と言ってくれない。

では、この同じ状況で奥さんが貢献感を持っていたらどうでしょうか。

「私が家事をするのは、純粋に旦那さんや子どもの役に立ちたいから。」
「別に褒めてもらいたいからやっているわけじゃないし、見返りを求めているわけじゃない」という思いが貢献感です。

 

貢献感は承認欲求とは違い、評価の判断基準が自分にあります。自分自身が「これでいいんだ」と思えばそれで良いのです。

変な言い方をすると、貢献感を持っている人は「私は誰かのために役に立っている」と「一方的に」思っていることになります。

この「一方的に」というのが重要なんです。

そうすると相手に褒められたりお礼を言われたりしなくても、自分の心は満たされた状態になります。

会社でも家庭でも友だち関係でもそうですが、相手のために何かをしてお礼を言われなかった時に「イラッ」としてしまうのは、お礼を言ってもらうことを期待しているからです。

「わたしはあなたのために◯◯をしました。なのに褒めてくれないんですね。お礼も言ってくれないんですね。」と。これは承認欲求です。

でも承認欲求は評価の判断基準が相手にあるから、相手が褒めてくれるかどうかは相手次第です。
「褒めてくださいよっ!!」と相手に言えるものでもありませんからね。

その相手はもしかしたら、心では「ありがとう」と思っていたけど口ベタで言葉にできなかっただけかもしれません。「言わなくても分かっているだろう」と判断しているのかもしれません。

でも、「お礼を言ってもらうことを期待しているわたし」は承認の言葉をもらえなかったことに腹を立てます。

 

ここまで読んでみて"承認欲求"と"貢献感"にまだピンとこなければ、インスタグラムやツイッターといったSNSを思い浮かべるといいかもしれません。

承認欲求とはいわゆる「いいね」のことです。投稿したのに「いいね」が少なくてモヤモヤしている時は、それは「いいね」という承認(褒められる・認められる)を求めているのです。

反対に、趣味の記録用としてやっているアカウントの投稿に「いいね」が全然つかなくてもモヤモヤしないのは承認を求めていないからか、「興味がある人が見てくれたらいいな」くらいに思っているからだと思います。これは"貢献感"に近い感覚です。

「褒める子育て」「叱る子育て」の注意点

Daria-Yakovleva / Pixabay

なぜぼくたちは承認欲求ばかりを意識してしまうのでしょうか。

実はこれは子どもの頃に理由があると考えられます。

なぜなら、ほとんどの人が子どもの頃から承認欲求を意識させられて大人になってきたからです。

承認欲求の欲求の根底には賞罰教育があります。

「運動会の徒競走で1等になったらゲームを買ってあげる」
「テストで何点以上取ったらスマホを買ってあげる」
「試験に受かったらお小遣いを上げてあげる」

これらはよくありがちな子どものモチベーションアップ方法ですが、これらの裏を返すと、子どもたちは「◯◯ができなかったら▲▲はもらえない」という事実を学ぶことになります。

 

「褒めてもらえるなら良い行動する」という基準を学んだ子どもは、同時に「叱る人がいなければ良くない行動もする」という基準も学ぶことになります。

「親が見てなければ◯◯する」
「先生がいないから◯◯できる」

あなたも思い当たることがあるのではないでしょうか(笑)

これらの行動はどれも、評価の判断基準が相手の側にあるから起きることです。

評価の基準が自分にあれば、褒めてくれる人がいなくても「良い行動をすると気分が良い」「自分が楽しいからそれで十分」といった基準で物事を進めます。

「誰かに褒められたりしなくても、自分が気分良いからそれでいいんだよ〜」と爽やかに過ごすことができます。

評価の判断基準が他人にある人と
評価の判断基準が自分にある人では、
(他人はコントロールできないので)
ストレスの感じ方が全然違うということです。

承認欲求は無くさなきゃダメ?

Kessa / Pixabay

さて、ここまで話が進むとこんな疑問が浮かぶかもしれません。

  • 「承認欲求は無くさなきゃダメなの?」
  • 「どんな人にも承認欲求はあるでしょ、他人から褒めてもらったら嬉しいし、認めてもらいたいじゃん」
  • 「承認欲求を無くすのは無理じゃない?」

この疑問、ぼくもずっと考えていました。

『嫌われる勇気』は5回以上読んでいるのですが、どうも納得できる部分を見つけられず(ぼくの読解力が乏しいだけかもしれませんが、、、)。

しかし、考えればそれなりの答えにたどり着くものですね!

これはぼくなりの考え方なのですが、ぼくが至った答えはこうです。

 


ぼくは"承認欲求"も"貢献感"も両方とも持つことは全然問題ないと思います。

ぼく自身も両方とも持っていると思います。それも承認欲求に関してはきっと普通の人よりも強めに。自信があります。

ぼくは人に褒められたらニヤニヤが止まりません。人に褒められるとすぐデレデレします(笑)立派な承認欲求だと思います。

でもかといって、誰かに褒められなくても落ち込むことはほとんどないし、認めてもらえなくて怒ったりイライラすることもありません。(と自分では思っています、、笑)

というのも、"承認欲求"と"貢献感"の考え方がすごく影響していると思います。

 

貢献感というラーメンの上に承認欲求というトッピングが乗っている

ぼくが考えるに、お礼を言ってもらえなかったり感謝してもらえなくてイライラしちゃう人は、"貢献感"と"承認欲求"の2つを合わせて100%にしているんだと思います。

貢献感が60%と承認欲求が40%で、合わせて100%みたいな感じです。

となるともし承認欲求が満たされないと貢献感の60%しかありません。

本当は100%で「満足」なのに、60%しかないのですから「不満」ですよね。だから落ち込んだりイライラしちゃったりするわけです。

 

そうではなく、ぼくが持っているのは平たい石を上に重ねるイメージです。

Alexandra_Koch / Pixabay

土台となる"貢献感"という大きい石(画像でいう黄緑の石)をまず置いて、その上に"承認欲求"という小さい石が置いてあるイメージ。

つまり、1番下の基礎となる部分に"貢献感"が100%で置いてあって、その上に40%くらいの承認欲求が乗ってくる状態です。

 

だから、ぼくは人に褒められたり感謝されたらめちゃくちゃ嬉しいわけです。すでに100%の貢献感で満たされているのに、さらに承認欲求の40%が加わりますから、合計で140%の喜びです。

 

仮に褒められなくて40%の承認欲求が乗らなかったとしても、その下には100%の貢献感があるから落ち込んだりイライラしたりしないんです。褒められなくても「満足」はできるんですよね。

「お礼は言ってもらえなかったけど、人の役に立つことして良い気分になったからそれでいいや」って思うんです。

  • 褒めれたら嬉しいけど、褒められなくても平気。
  • 感謝されたらより頑張るけど、感謝されなくても自分が良い気分になるために頑張る。

こういう感覚です。

だから承認欲求はラーメン屋のトッピングくらいに思っておくのがいいと思います。「煮卵が乗ったら嬉しいけど、別になくても十分おいしいよなぁ」って。それでたまにサービスで煮卵乗せてもらえたら「ラッキー」くらいの気持ちです(笑)

そうやって日々を過ごしていると、自分のことが好きになります。まずは貢献感で自分を満たす。自分のことを嫌いでいるよりも、自分のことを好きでいた方が絶対に楽しいですからね。

さいごに

今、自分の周りにいる苦手な人や嫌いな人は、なんとかすれば会わないようにできるかもしれませんが、自分自身と会わないようにすることはできません。

だったら自分のこと嫌いでいるよりも好きでいた方がいいはず。

 

ぼくも昔は自分のことが嫌いでした。今なら分かりますが、その理由は評価の判断基準が他人だったからです。

きっと貢献感10%くらいで承認欲求が90%の割合でした。承認されないと全然満たされないからいつも心がカラカラでした。

無理してたんですね。「褒められよう」「人の期待に応える人でいよう」と必死だったんだと思います。。今はね、大好きですよ、自分のこと(笑)

 

というわけで今回は"承認欲求"と"貢献感"の話でした。

あなたの抱える悩み解消のヒントになれば嬉しいです!

 

今回の記事で大いに参考にしたアドラー心理学は、人間関係に悩みを抱える方には絶対にオススメです!

悩み・苦しみを続ける前に、一度知ってみてください♪♪

今回も最後まで読んでくださってありがとうございました。

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