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【周りから浮いたらダメ!?】日本人が"浮くこと"に敏感な理由を解説
今回は、全国で子育てをしている親御さんが気にしがちな悩みの1つ、
という悩みにフォーカスしてみようと思います。
普段スマホや銀行のセキュリティで指紋や顔認証を使い、誰とも同じではないことが重要なセキュリティ要素になっているにも関わらず、なぜ性格や行動が周りと同じでないことは心配してしまうのでしょうか。
「浮いていること」に敏感な日本人
あなたは学生の頃、クラスの中で「自分は浮いているかも」と感じたことはありますか?もしくはクラスで浮かないように気にしていましたか?
日本人は集団の中で「浮くこと」にとても敏感です。
多くの親御さんも、我が子が「周りから浮いていないか」をとても気にします。
- 「浮いているとイジメられるかもしれない」
- 「出る杭は打たれるから」
- 「一人で過ごしていることが多いから友だちがいないのかも」
よく聞く親御さんの悩みです。
なぜそんなにも周りから浮いていることを気にするかと言えば、「周りから浮いていることがダメなことだと思っているから」ではないでしょうか。
なぜ「浮くこと」はダメなことなのか
なぜ日本人は「周りから浮いてしまうこと」に敏感なのでしょうか。なぜ「周りから浮くことはダメなこと」だと感じてしまうのでしょうか。
その答えの1つには「そういう教育を受けているから」ということが言えます。
日本人が「周りから浮くこと」を気にする理由に関して、とても分かりやすいブログ記事があるので引用させていただきます。
引用元は、北海道でロケット開発をしながら全国の子どもたちに「夢」を追いかけることの大切さを伝え続ける植松努さんのある日のブログ記事です。(※赤ラインはぼくが付けました。)
この世には、同一の人間はいません。全ての人は、かならず微妙に違います。
「あなたは、わたしとは違う」は、あたりまえです。同じだったら怖いです。
なのになぜ、「違う」を「おかしい」と裁き、「だめ」という罰を与えることが、まかりとおっているのか?
人が私的に人を裁き、罰を与えることは許されません。
なぜなら、そこには、間違いが入り込む余地があるからです。誤解や、情報不足によって、裁き、罰を与えるのは、とても危険な事です。
裁きの過ちを防ぐために、検察と弁護士と裁判官がいます。しかし、日本では、とても残念な事に、教育に関わる大人が、子ども達を私的に裁き、私的に罰を与えてしまうことを、子ども達に見せつけてしまいます。
学校では、子ども達に社会性を身につけさせようとします。
本来は、それぞれ違う人間を尊重し、助けあうことを教えた方がいいと思うのですが、残念ながら、日本はかつて国民皆兵制度だったため、日本人全員が、命をかける軍隊だからこそ必要な、「滅私奉公」の「全体主義」を教育されます。
それを学んだ人達が社会を構成したので、日本中の企業や組織が、軍隊的な階級制度を構成し、全体主義的な価値感を持ってしまいました。
当然、学校もその影響を強く受けています。
そして、時代はずいぶん変わってきたのに、学校はなかなか変わりません。いまでは、企業よりも、軍隊的に見えます。いまだに、軍事教練と同じ「整列」「行進」「右向け右」や、
「連帯責任」や「責任を取って丸坊主」なんてのも、学校では普通に残っています。そこでは、
「みんなと同じにしなさい」
「なんでみんなと同じ事ができないの!?」
「みんなちゃんとしてるよ!」
「みんなとそろえなさい!」
ということをたたき込まれます。「違う」は、他の人に迷惑をかける「だめ」なことだと教えられます。
根拠のない「普通」や「常識」に従うことが、とても大事だと思えます。それが「空気読めよ」になっています。
それを学んだ子ども達は、自分たちの「普通」「常識」をもとに、「違う」に対して、
私的に裁き、罰を与えられる人になってしまいます。(2019/04/24植松努のブログ なぜ「違う」を「だめ」だと思ってしまうのか?より)
こういうわけでぼくたちは、義務教育が終わる15歳前後には、頭の中に次のような公式がインプットされるのです。
周りから浮いている
=みんなと違う
=全体主義に反する
=他の人に迷惑をかける
=ダメなこと
つまり、『周りから浮いていること=ダメなこと』
日本で暮らしていると、「周りから浮く」ということに対してとても敏感になってしまうわけですね。
日本と海外の違い
しかしこう考えてみてください。
「浮いている」とは「周りとは違う」ということです。
「周りと違う」とは「個性がある」ということです。
つまり、「浮いている」とは「個性がある」ということに他なりません。
あれ?
「個性」って、現代の日本社会が、若者に求めている要素の1つでは無かったでしょうか?
保育園や幼稚園でも「子どもの個性を大切にする関わり方をしよう」という方向性で保育していますし、本屋で教育関係の棚を見れば「個性が大事」「個性を伸ばそう」と書いている本がたくさんあります。
「個性を伸ばす」ということは「周りから浮く」ということですから、「個性は伸ばしたいけどクラスで浮いて欲しくない」というのは、実はめちゃくちゃ矛盾していることになります。
オーストラリアの保育園で印象的だったこと
少し話がそれますが、以前ぼくがオーストラリアの保育園で働いていた時、とても印象的だったことがあります。
日本の保育園では、親御さんの多くが、お迎えにきた時に子どもに対して「今日も良い子にしてた?」と聞くことが多いです。
これを言い換えると、「今日も集団の輪から外れずに先生の言うことを聞いていたかい?」ということですよね。
親御さん自信が「みんなと違うこと=ダメなこと」という教育をすでに受けているので、無意識のうちに子どもにも「集団の輪から外れないこと=良いこと」だと教育してしまっているわけです。
でも、オーストラリアの保育園で働いていた時に、ぼくはこの質問を一度も聞いたことがありません。
オーストラリアの親御さんがお迎えの時に決まって聞くのは「今日はどんな1日だった?楽しかった?」です。
これは言い換えると「今日も自分のやりたいことをやって過ごしたかい?」「新しいことに挑戦したかい?」「何か良いことあったかい?」ということです。
何気ない日常の一場面ですが、「日本とオーストラリアでは子育ての方向が大きく違うんだ」と感じた一コマです。
実はみんな浮いている
ところで、今までに一度くらいは「私は周りから浮いているかもしれない」と感じたことはないでしょうか?そして、そう感じてしまうことは異常なことでしょうか?
いや、そんなことはないですよね。だってぼくたちは他の誰とも違っていて当たり前です。
今まで出会った人を数人思い浮かべながら考えてみるとよく分かります。
まず自分の親が違います。さらに育った環境が違います。
違う遊びをして育ち、違う習い事をして育ちました。
高校も大学も別々で、バイト・部活・勉強・遊び・趣味など、時間の使い方も違ったはずです。
さらに出会った人も違うので、そこから学んだ人生経験も違うはずです。
そう考えていくと、自分と周りの人は違う所だらけです。
つまり世の中にいる人は全て「個性的」であり、そもそも一人ひとり「浮いている」ことになりませんか?
公園の池に浮いている浮き草みたいなものですね。実はみんな浮いてるんです。
個性は優劣じゃない
あなたも旦那さんもあなたの子どもも、この世にたった1人しかいない個性的な存在です。
自覚はないかもしれませんが、それぞれが強烈な個性を発揮しているから世の中は回っています。
ただし、個性的な存在だからといって、そこに"優劣"を持ってくるから話がおかしくなります。
「あの個性は良い、この個性は悪い」と勝手に「良い悪い」をつけるとややこしくなるのです。もしくは「周りから浮いていることが悪い」というように個性があること自体を悪いと捉えていることに問題があったりします。
たとえば学校の教科には国語・数学・英語・社会・理科と他にもたくさんありますが、それぞれに優劣はないはずですよね。
「国語を勉強している人は数学を勉強している人よりも良い」とは思わないですよね。もしそこに優劣が生まれるとすれば、「自分は文系で受験科目に数学は関係ない」といったその人の都合があるだけです。
個性も同じで、自分勝手な都合で「良い悪い」を決めてしまうことが多いのだと思います。
ということは、日本人が言う「浮いている」という考え方は、「個性的だから悪い」と言っているのと同じです。
ぼくたちがそうやって考えるようになってしまった原因の1つには、先ほども書いた"義務教育"があるのかなとは思いますが、過去のせいにしていても問題は解決しません。
日本人が教え込まれている、「皆平等」「皆同じ」「集団第一」みたいな価値観は、管理する人(隊長や上官)にとって都合が良いだけの考え方です。
戦争もなくなって経済的にも破綻しかけている現代の日本にはもっと別の価値観を持って子どもたちを教えていく必要があるのではないかと思うばかりです。
今後は「浮いていることを認め合える環境」がとても重要になると思います。
さいごに
今回は、親が気にしがちな「うちの子、学校で浮いてないかしら?」「うちの子最近、集団生活に馴染めてないみたい」という悩みにフォーカスしてみました。
話のポイントは以下の通り。
ポイント
- 日本人は「周りから浮いていること」にとても敏感
- 浮くことはダメなことだと思っている
- その原因は戦後の学校教育にあるかもしれない
- そもそも一人ひとりは個性的な存在
- 優劣をつけるからややこしくなる
- 個性があることを認め合える環境が必要
- まずは親や先生が「周りから浮くこと」への恐怖を乗り越えるようにする
この機会に「個性があること」と「浮くこと」について改めて考えてみてもいいかもしれませんね。
今回も最後まで読んでくださってありがとうございました。