あなたは「失敗すること」についてどう思いますか?
できればしたくないものですか?
なるべく避けたいですか?
それとも「失敗なんて怖くない」「どんどん失敗していこう」と考えていますか?
今回は、保育士のぼくが「失敗」ついてどう考えているか書いていこうと思います。子どもの挑戦と失敗についても参考になる話です。
挑戦するから失敗する
「失敗した」と聞いた時、頭に浮かぶイメージは「自信をなくした」とか「恥ずかしかった」が多いんじゃないでしょうか。
そしてそういう経験が積み重なって失敗が怖くて最初の1歩が踏み出せなくなっている場合も多いと思います。
もしくは「失敗しないように失敗しないように」とより安全な道ばかりを選ぶ癖がついてる場合もあるかもしれません。
失敗というのは、何かをするから起きることです。もしくは、何かに挑戦するから起きることです。
だからすごく偏ったことを言えば、「失敗をしたくなければ新しいことを何もしなければいい」ということになります。
家で一日中じっとしていれば失敗をして怒られたりすることもないし、恥ずかしい思いをして周りから笑われたりすることもありません。
ただそうなってしまった場合、覚えておかなければいけないのは「日々の小さな失敗を恐れるあまり、人生を失敗してしまう」ことになる可能性が高くなります。
こう書くと、「あぁそうか、もう自分は人生に失敗してしまったんだ」と悲観的になる人もいるかもしれません。
ぼくが言いたいのは、「人生を失敗しないように生きよう」ではなく、「失敗という捉え方を変えよう」です。
最近は世間的にも「失敗への捉え方」が変わってきました。
実業家のホリエモンも「"失敗"という言い方をするから良くないと思う。ぼくは最近、"部分的成功"と言うようにしている」と何かで言っていました。
失敗をポジティブに捉える良い方法だと思います。
最近はこんな本↓もあって、「失敗は悪いことじゃない」「ポジティブに捉えよう」という流れがあります!
ぼくの考え方「壁とゴム」
ぼくが失敗や挑戦という状況を考える時にいつもイメージすることがあります。
それが「レンガの壁」と「太いゴム」です。
高さ2mくらいのレンガの壁を想像してみてください。そしてその壁の真ん中あたりから「綱引き」の長さ同じくらいの太さがあるゴムが伸びていて、そのゴムの先端に自分の背中が繋がってるイメージです。
テレビ番組で筋肉モリモリの人が何トンもあるトラックを引っ張る映像を見たことありますか?あれのトラックが壁に変わっている状態です。
ぼくたちは生まれた時からゴムが背中についていて、壁に繋がった状態だとイメージします。
そして、目標はゴムを切って自由に身動きとれるようになることです。
でも、強力なゴムがあるからある程度のところまで走るとうまく進まなくなって、限界を超えるとゴムに引っ張られてビューンて一気に壁まで戻ってしまいます。
そして、戻った勢いでレンガの壁にぶつかる。すると痛いんです。
ゴムを切るという目標を達成するためには「挑戦」しなければいけませんが、上手くいかないと壁に叩きつけられて痛いんです。これが失敗のイメージです。
ゴムを切ろうと思ったら、ゴムが切れるくらい伸ばして伸ばして伸ばしきらないといけませんが、自分に力がなかったり、コツが分かってないと、張ったゴムの力に負けて壁まで戻されて痛い思いをしてしまいます。
それが繰り返されるとどうなるか。
痛いのが嫌だから「ゴムを切る」という挑戦をしなくなってしまいます。たとえゴムに繋がっていても、その繋がっている範囲でなら身動きは取れるわけだから、その行動範囲で満足してしまうようになります。
「だってゴム切ろうとして失敗したら痛いじゃん?そりゃゴムが切れたもっといろんなところに行けるんだろうけど、今のままでも身動きはできてるし、まぁいいかな」って。
人は挑戦をしなくなってしまいます。
壁の連続
さて、この「レンガの壁」と「ゴム」のイメージ。
もう少しイメージを膨らませてみると、実は人生の壁は1枚だけじゃありません。ゴムは1本ですが、そのゴムを切ってしばらくすると、目の前にまた別のレンガの壁が現れます。
しかも今度はさっきのより大きい高さ3mのレンガの壁です。
当然ながらそれを乗り越えないと前に進めません。だから必死の思いでよじ登り、反対側に降り立ちます。するとその瞬間「ガチャン!バシンッ!」とまた体にゴムが繋がれます。しかもさっきのよりちょっと太いゴムです。
というように、誰でも生まれてからこれまでたくさんの壁を乗り越え、ゴムに繋がれ、ゴムを切り、また壁を乗り越え、ゴムに繋がれ、、、、と繰り返してきています。
ぼくたちは子どもの頃から「できなかったことをできるようにする」という作業をずっと繰り返してきました。それが「成長すること」だと思います。
赤ちゃんの頃を考えてみても、最初は手足をバタバタ動かすだけですが、寝返りするようになり、ずりばいするようになり、ハイハイができるようになって、つかまり立ち、そして1人歩き、、、という順番で、できなかったことができるようになっていきます。
さっきの例え話で言うと、「できなかったこと」が「ゴムに繋がれている状態」で、「できるようになったこと」は「ゴムを切った状態」です。
何回も何回もゴムを切って次のゴムへの移動を繰り返しています。
その途中でもし赤ちゃんが、「ぼく、今"つかまり立ち"に挑戦してるんですけど毎回転んで痛いんスよね。もうハイハイでいいッスよ」と思って諦めてしまったら、そこで成長が終わってしまいます。
しかし多くの人は諦めることなくたくさんの「できなかったこと」を「できるように」してきました。
人生とは挑戦の連続で、ぼくたちは今までにたくさんの壁を乗り越えてきています。
元の場所に戻るだけ
この壁のイメージをするときに、ぼくがいつも考えるのは「ゴムに引っ張られて壁まで戻ったとしても元いた場所に戻るだけ。マイナスにはならない。」ということです。
失敗はマイナスだと考える人がいます。
でも、たとえゴムに引き戻されたとしてもそこには直前に自分が乗り越えたレンガの壁があります。
ぶつかるとちょっと痛いですが、その痛みがそこに壁がちゃんとあることを教えてくれていて、それ以上は後ろに下がらないことも教えてくれています。
失敗して痛みを感じるということは「そこまでちゃんと頑張ってきた」という証なんです。
しかも、何度も挑戦するうちにコツがわかってきます。「さっきこれでダメだったから、今度はこのやり方でやってみよう」というように。
挑戦とは消去法みたいなもので、失敗するたびに「上手く行かない方法」がどんどん分かってきます。
だからホリエモンは失敗を「部分的成功」と呼ぶし、発明家のエジソンは電球の開発実験が1万回うまくいかなくても「1万回のうまくいかない方法を発見しただけ」とポジティブに捉えているんだと思います。
子どもの「課題」
ぼくは保育士として子どもと関わる中で、子どもがゴムを切ろうと頑張って走っている姿を応援するイメージを持っています。
その子のゴム(挑戦課題)をハサミでチョキンと切ってあげることもできてしまいますが、それではその子のためにはならないと思います。
親や先生がいつもゴムを切ってあげていたら、その子が大人になっていきなり太いゴムに繋がれてもどうしていいか分からず乗り越えるのに時間がかかるか、挫折して自信を喪失してしまうかもしれません。
不要な手助けよりも、子どもが自分自身の力でゴムを切る手伝いをするイメージが大事だと思います。
ぼくが子どもたちに一番なって欲しくないのは、ゴムを切ろうと頑張っている人たちを横目に、ごろ寝して鼻くそほじりながら「何必死に頑張っちゃってんの。ダサくね?わざわざ痛い思いして何が楽しいの?」と冷めた言葉をかけるような大人です。
自分が挑戦をしなくなったからといって周りの人が挑戦している様子を馬鹿にするような冷めた大人にはなって欲しくないし、ぼく自身もそうならないように気をつけなければと思っています。
さいごに
ゴムを切るには体力もいるし時間もかかります。
だから休憩も必要です。
四六時中挑戦し続ける必要はないと思います。
ただし、自分が挑戦していない時でも、周りの人が挑戦しているのをバカにしたりしないようにしたいですね。
失敗は怖いものじゃありません。
失敗できるということは、何かに挑戦したということですからむしろカッコイイですよね。
挑戦すらしなくて、あとで後悔する方がよっぽど怖いです。
というわけで、「失敗」についてのぼくの考え方でした。
共感いただけましたら、ぜひお子さんに伝えてあげてください!
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最後まで読んでくださってありがとうございました。