多くの人はネガティブな気分をなくしたいと思っています。
そして強くありたいと願います。
「強い人」と聞くと、どんな人を思い浮かべますか??
逆境に負けない人、いつも明るい人、落ち込まない人、疲れたりしない人、、、でしょうか??
一般的には『強い人=折れない心を持った人』と言われています。
多くの人は「折れない心」を持ちたいと願い、親や先生は子どもたちにも折れない心を身につけさせようとします。
しかし、実は「折れない心」とは必要のないものす。というより、時代が作り出した都合の良いウソです。子どもに「折れない心」を身につけさせようとする教育方法も間違っています。
「折れない心」を持った人間がたくさん現れることによって喜ぶのはだれか。
「折れない心」とは、言い方を変えれば
「疲れたと言うな」
「めんどくさいと言うな」
「落ち込むな」「悲しむな」
と言われているようなもの。
そんな人間はロボットかと思う。
今回は、現役保育士であり心理カウンセラーでもあるぼくが、
- 「折れない心」を子どもに教えることがなぜ間違っているのか
- 大人も子どもも「折れない心」は必要ないこと
をまとめます。
折れない心が「善」の時代
今までの日本は、折れない心を持った人を「善」として、「人間らしさ」を抑えてきました。
数年前にはサラリーマン向けの栄養ドリンクのCMで「24時間たたかえますか?」というキャッチフレーズが流れ、長い時間我慢しながら働くこと、弱音を吐かずに周りのスピードに合わせることが世の中の「善」という時代がありました。
学校でも校訓に「明るい心 元気な心 強い心」みたいなもの掲げて、子どもたちを育ててきました。しかし、大事なのは、どんな心を「明るい心」「元気な心」「強い心」と呼ぶのかですよね。
強い心と一言で言っても、
- 全然落ち込まない、苦しいことがあっても疲れたと言わない、めんどくさがらない、つらいことがあっても悲しまない心を「強い心」というのか
- 転んでケガをしてもすぐに立ち上がろうとする心や失敗を恐れずに挑戦している心を「強い心」というのか
その前提によっても「強い心」の意味は変わってきます。
たぶん今までの日本では、1の方を「折れない心」と呼び、子どもたちに身につけさせようとしてきたように思います。
人工知能は心が折れないから未完成
ここで少し人工知能の話をします。
最近になって人工知能(AI)の話題がたくさん出てくるようになりました。
「人工知能が完成したら世の中が大きく変わる」
「人間がしていた仕事がAIに取って変わる」
「自動運転が現実になる」
とにかく世の中が大きく変わるようです。
しかし、一方で、人工知能の完成はまだ遠いという話もあります。
それが今回の「折れない心」の話と繋がっているのです。
人間の気持ちを理解できない人工知能
なぜ人工知能の完成が遠いのかといえば、人工知能が完璧すぎるからです。
人工知能の役割は「人間の暮らしをより豊かにすること」のはず。
となると、最重要項目として「人間の気持ちを理解する」ことが必要になりますよね。
ぼくたちが普段、学校や会社や家庭の中で共存できるのは、自分の気持ちをうまく伝えたり、相手の気持ちに共感したりできるからです。しかし、未完成の人工知能というのはそれが苦手なんだそうです。
たとえば、車が自動運転になったとして、カーナビに行き先を伝えると自動で現地まで移動できるようになったとします。
そこに未完成の人工知能が搭載されていると、
人間が「座るのに疲れたからちょっと休憩したい」「トイレに行きたくなったからコンビニに寄って」と伝えたとしても、
人間の気持ちが理解できない未完成の人工知能は、
「いえ、データ上では人間はまだ疲れていないと思われます。あと30分に休憩を取るのがベストです。」
「今トイレに寄ると12km先で渋滞に巻き込まれて到着が37分遅れてしまいます。トイレはあと1時間ほど我慢してください」
なんてことを平気で言ってくる可能性があります。
(共感力のある)人間の運転手ならそんなことはありませんよね。そんな人間味のない人工知能は絶対に人間と共存することができません。
自分に厳しい人工知能
そんな完璧すぎる人工知能ですから、自分自身にもめちゃくちゃストイックです。
指示があると忠実に従います。
指示を嫌がることはないし、
悲しむこともない、
めんどくさいと言わないし、
疲れたと言うこともない。
だから無理をし過ぎていまい、ネジや配線が痛んで煙を上げていても指示を達成するために頑張ってしまう。
それが未完成の人工知能です。働き過ぎの時は自分から「最近ちょっと働きすぎなので休憩が必要です」「パーツが痛んできたので部品の交換が必要です」と言えないといけません。
工場の機械や車には意志がなく自分で主張できないので「整備する人」「メンテナンスをする人」がいて面倒をみています。
人工知能は自分自身でそのコントロールがうまくできないといけないのです。
機械になることを目指した日本人
ここまでの話を踏まえて思うのは、未完成の人工知能や機械は「折れない心」を持っているということ。
そして、今まで日本人が目指してきた「折れない心」というのは機械を目指せってことと同じじゃないでしょうか。
だから、弱音を吐かず嫌なことも我慢して長時間働くことが当たり前になり、世界中がその意味を聞いて驚く「過労死」という言葉が生まれた。
でも、機械を目指すのは間違いだったんじゃないか、と最近になって言われるようになりました。
人間には感情があり、疲れるし落ち込むし、嫌な気持ちにもなるし悲しいこともあります。
人工知能が人間の気持ちを理解するために「折れる心」を学んでいる最中に、人間が「折れない心」を目指して機械に近づこうとするこの矛盾はすごく変だと思います。
ドラえもんがのび太と仲良くできるのは、
ドラえもんが寝るし怒るし泣くし喜ぶし、休憩してどら焼き食べるし、とっても人間らしい猫型ロボットだからですよね。
だから、「折れない心」を中途半端に持った先生や上司がいるとやっかいだと思います。
感情があるのに感情を抑えて機械のようにすることを周りに求めるのですから。
たぶんそういう人はその人自身が1番苦しいと思います。
人間は「折れる心」があっていい。むしろ、
「心が折れるから人間らしくいられる」
そう思います。
心のシグナルを大切に
心が折れかけている状態に気づく方法があります。
日常生活の中で、本当はやりたくないことを自分にウソをついて無理してやっていると、心がシグナルを送ってきます。
そのシグナルとは、ぼくたちが「つかれた」「めんどくさい」「だるい」と感じる時です。それが「心が折れかけている」状態です。
本当に好きなことをやってる時はそうは感じないはずですから。そんなシグナルを無視すると、健康状態が悪くなります。
いわゆる「気が病む」というやつで、心か体に影響が出ます。病気になってしまいます。病気になるほど何かをしなければいけないなんておかしいですよね。
よく言われることですが、
本来は生活するためにお金が必要だからお金を稼いでいるはずなのに、
日本ではお金を稼ぐために重労働で心や体を壊して生活できなくなっている人が多くなっています。
それはおかしいと思います。
そんなおかしな状態に気づかせてくれるのが心のシグナル。
つまり「心が折れる」ことで、「この現状は間違っていますよ」「あなたには合っていませんよ」ということを教えてくれているんですよね。
だから、心が折れる人間はダメな人間ではなく、人間らしい人間であるという証明になります。
折れて太くなる心
骨折した骨は、治った時には折れる前よりも太くなるそうです。
筋肉も同じで、筋トレは筋肉が体の筋繊維を一度ブチブチと切ってから、修復される時にさらに太くなる仕組みを利用します。
心も同じ。
一度折れると戻った時にさらに太くなる。
過去の辛い経験や悲しい出来事を思い返してみると、「あの時あんなことがあったから、今こう思うことができる」と振り返れたりします。
それは一度折れた骨のように、一度折れた心がさらに太くなって復活したから。
「神経が図太い」と言われる人がいます。
「図太い」という言葉はネガティブなイメージで使われることもありますが、図太くなるためには過去に何回も心が折れているはずです。たくさんの挫折や悔しい思いを経験したから心が図太くなった。それが今のその人だと思います。
というわけで、ぼくたちが目指したいのは心が折れない人間ではなく、折れてもさらに強くなって復活できる人。
子どもたちにもそう伝えてあげたいと思います。
まとめ
心が折れないようにすることが染み付いてしまうと、「疲れた」「めんどくさい」「悲しい」「つらい」といった心のシグナルを無理矢理押さえつけることになってしまいます。
また、そういう人は心が折れることを怖がるようになり、我慢ばかりするようになってしまったり、新しいことに挑戦することもできなくなってしまいます。
子どもたちには、失敗や挫折をプラスの経験に変えられる力をつけて欲しいと思います。
そのためにはまずは子どもたちの周りにいる大人が、たくさん失敗や挫折をしてそこから復活する姿をたくさんみせてあげたり、過去の経験を話してあげることが必要なのではないかと思います。
転ばない人ではなくて、転んでもすぐに立ち上がれる人に。
折れない心ではなく、折れても太くなって復活する心を。
そんな心を手に入れるため、まずは心のシグナルに素直になる所から始めてみてはいかがでしょうか。