子どもには外遊びが必要で、自然と触れ合うことがとても重要である。
という話は子育て中のママであればどこかで聞いたことがあるかもしれません。
「誰かに言われた訳ではないけれどなんとなくそんな気がする」というママもいると思います。
海や山、花や草木、天気や宇宙や地球まで、全て「自然環境」ですが、一体子どもたちは自然からどんなことが学べるでしょうか。
なぜ自然と触れ合うことが子どもにとって大切なのでしょうか。
ぼくは、自然は人生をより豊かに生きるために重要なたくさんのことを教えてくれると思っています。
だから教育にも「自然教育」をどんどん取り入れる方がいいんじゃないかと思っているし、子どもたちには自然環境の中でたくさん遊ばせたいと思っています。
ただ問題があります。現代生活だとなかなか気がつかないんですよね。自分たちが自然の中で生きているということに。
そこで今回は、子どもにとってアウトドアが大切なのはなんとなく分かるけど、具体的に何が学べるの!?と疑問を抱えるママのために、自然大好きなぼくが解説してみようと思います。
コントロールできるもの、できないもの
いきなりですが、自然の中にあるもので人間が操れるものってどれくらいあるでしょうか?
完全にとはいかないまでも、ある程度コントロールできることって何があるでしょうか?
たとえば花。
花壇の土を耕して種を蒔き、適度に水や肥料をあげて、日の光をいっぱい浴びることで蒔いた種から芽が出て茎が伸び、やがてつぼみができて少しずつ開いていって、数日後には満開になることをぼくたちは知っています。
でも、蒔いた種がいつ芽を出すか、開きかけたつぼみが何時に満開になるか、僕らはそれらを決めることはできません。
つまり、ぼくたちはどうすれば花が咲くかは知っていますが、いつ花が咲くかはコントロールはできません。
たとえば天気。
ぼくたちは、晴れや雨や曇りや雪といった天候があることを知っています。
でも、「明日はデートだから晴れて!」「明日は仕事行きたくないから台風で!」といって明日の天気を決めることはできません。
これも、どんな天候の種類があるかは知っていますが明日の天気をコントロールすることはできないということです。
季節だってそうです。
日本で暮らしていれば、春夏秋冬4つの季節が順番に巡っていることは知ることができます。
でも、「夏が苦手だから春の次は秋で!」とか「気分転換で今年は春夏夏夏でいきましょか」とはなりません。そんなこと決められないわけです。
明日の天気を決めることができないように、
季節が移り変わるのを止めることができないように、
人が自然を操ることはできません。
人は自然という大きな存在の一部です。決して「人間は自然をコントロールできるんだ」という大それた考えはもってはいけません。
おそらくですが、田舎暮らしをしている人や農業をしている人は身にしみて感じていることなんじゃないかと思います。
都会は「自然」な場所でしょうか?
では、「都会」とはどんな場所でしょうか?
自然でしょうか?不自然でしょうか?
都会に住んでいると、「人は環境(自然)をコントロールすることができない」という事実を日常的に感じることが少ないと思います。
いきなり何を言い出すのかと驚かないでくださいね。この先を読めば理由がわかります。
都会には人工物が溢れています。
都会には人が建てたビルやマンションが立ち並び、人が舗装した道路があり、人が作った綺麗な階段があります。
信号もガードレールも歩道橋もぜーんぶ人が作ったもの。雨が降ると水が流れる道路の横の側溝も人が作ったものです。
そう考えると、都会という場所は周りに整えられた人工物が多すぎて、いつの間にか「私たち(人間)は自然を操ることができる」という錯覚に陥ってしまっているとも思えてきます。
次↓の例が分かりやすいのではないでしょうか。
たとえば、
歩道の真ん中に大きめの石がありました。歩いてきた子どもがつまずいて転び、ヒザをケガしたとします。
もしそれが街の中だったら「誰よ!こんなところにこんな物(石)置いたのは!ウチの子がケガしちゃったじゃない!」とママは怒るかもしれません。
街中の歩道に大きめの石は、本来そこにあるはずがない物で、誰かが置いた可能性が高いからです。
しかし、それが山の中の歩道だったら、ママが子どもにかける言葉はどうなるでしょう?
「気をつけて歩きなさい」となるんじゃないでしょうか?
他にも、
真夏の海の砂浜を裸足で歩いたらめちゃくちゃ熱いです。それでもきっとたいていの人は「海だからしょうがない」「真夏の砂浜だからしょうがない」と割り切るだろうと思います。「なんでこんなに熱いのよ!」とキレることはないと思います。
同じように真夏の住宅街のアスファルトを裸足で歩いたら同じようにめちゃくちゃ熱いです。
でも、その時は「なんでアスファルトってこんなに熱いの?もっと熱くならないように作れないの?」と思ってしまうかもしれません。
なぜなら、砂浜は自然の物ですが、アスファルトは人工の物だからです。
ようするに、人工物ばかりを相手にしていると、「人のせいにできてしまう」これが重要なポイントです。
人が作ったものだからそういう思いが出るんですよね。真夏の砂浜だったら「しょうがない」と思えるのに、です。
というように、都会や住宅街のような人工物に囲まれて暮らしていると、「しょうがない」と思えることが少なくなってしまいます。
「しょうがない」という感覚は大事
「しょうがない」という言葉は正しく言えば「仕方がない」です。
「仕方」というのは「方法」のことなので、「仕方がない」ということは「方法がない」ということになります。
つまり「コントロールできない」ということです。
自然に囲まれていると、
大切な日に雨が降っても「しょうがない」
雨で小川があふれても「しょうがない」
山道に大きな石があっても「しょうがない」。
「しょうがないこと」がたくさんあります。
便利で快適な人工物に囲まれた生活をしているといつの間にか、「しょうがない」ことを「しょうがない」と思えなくなっている可能性があります。
電車が遅れたら誰かのせい、渋滞していたら誰かのせい、スーパーの品揃えが悪かったら誰かのせい、そうやって誰かのせいにするクセがついてしまいます。
都会の暮らしでは「誰かのせい」にできることが多い
都会も自然の多い場所も、暮らすにあたってはどちらにもメリット・デメリットはあると思います。
むしろ現代は多くの人が生活の場に都会や都会の近くを選ぶということは、都会の方が暮らしやすいからなのかもしれません。
都会での生活は便利で快適です。
欲しいものがすぐ買えたり、食べたいものがすぐ食べられたり。夜型のライフスタイルの人や夜中まで活動できる場所としては都会は本当に便利だと思います。
「(衣食住に関しては)多くのことが思い通りになる」
これが人工物に囲まれた都会暮らしの特徴です。
ただし、先ほども例えで出しましたが、都会は人が作った物ですから、誰かのせいにできてしまいます。
山道の階段が崩れても「おっと危ない気をつけよう」と思えるのに、マンションの階段が崩れたら「なにこのずさんな工事、建築会社を訴えよう」となってしまいます。
キャンプ場でテントの中に虫が入ってきても「まぁ山だからね」と言えるのに、家の中に虫が入ってきたら「網戸に吊るしておくだけで良いって書いてあるのに全然効かないじゃない!」と怒る羽目になってしまいます。
「しょうがない」と思う機会が極端に減っています。人工物に囲まれた現代だから起きる現象なんだと思います。
アウトドアで「しょうがない」と思える経験をたくさん持とう
話が遠回りになってしまいましたが、まとめます。
今回のテーマは子どもがアウトドアで「自然」を通して子どもたちが学べることでした。
アウトドアを通して学べることは、「どうやっても思い通りにならない経験」です。
「どうやっても思い通りにならないこと」とはつまり、「しょうがないこと」です。
人工物に囲まれている日常での暮らしでは、人のせいにできることが多くあります。
しかし、自然環境には「人がコントロールできないこと」がたくさんあります。
自然環境で過ごせば過ごすほど、「人のせいにしない力」が身に付くと思います。
ただし勘違いしてはいけないのは、「しょうがないを知る」というのは「すぐにあきらめる」ということではありません。
「どう頑張ってもコントロールできない物事があることを知る」ということです。
そのコントロールできない物事がある世界の中でどう振る舞うかが人生の豊かさに関わるのだと思います。
自然教育の書籍
今回はぼくが自然の中での教育が大切だと感じる理由を記事にしました。
さいごに、自然教育に関する読みやすい本を載せておきますので気になる物があれば読んでみてください。
最後まで読んでくださってありがとうございまいた。